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京都・大坂の陣のきっかけとなった「方広寺の゛国家安康”の鐘と太閤石垣」

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豊国神社(方広寺の大仏殿跡)参道から、左の道を行くと方広寺があります。

豊臣秀吉が、京の大仏「木造毘盧遮那仏坐像(びるしゃなぶつ)」を安置したのが
現在の豊国神社が位置する、方広寺の創建で文禄4年(1595年)のことでした。

方広寺の鐘楼(重要文化財)

参道から左に見えていた鐘楼が、方広寺の鐘楼でした。


京都の知恩院、奈良の東大寺とともに三大梵鐘といわれる大きな鐘。

数年前にも京都国立博物館へ来た時に、この場所にも来ていたのですが・・・
何も分からずに鐘楼を見ていたので、帰ってから後悔したところです。(^^ゞ

方広寺の梵鐘「国家安康(こっかあんこう)」

梵鐘に刻まれている白い縁取りの「国家安康」「君臣豊楽(くんしんほうらく)」の文字は
秀康の子豊臣秀頼(とよとみひでより) によって鋳造されたものです。

銘文に「国家安康」「君臣豊楽」という文が入っていた事から、「国家安康」は家康の字を分断し、「君臣豊楽」は豊臣が栄えるという意味を持つと言いがかりを付けられ、家康に大坂城へ攻め込む口実を与えた豊臣宗家滅亡へのきっかけともなった有名な梵鐘です。

方広寺

桃山時代には秀吉の庇護の下、多大な寺域を有していた方広寺でした。


現在は小ぢんまりとした境内に、本堂と鐘楼などが残っているだけでしたが


方広寺の前から西方向の坂道を下りて大和大路通に出ると巨石が・・・

大佛殿石垣

それは、方広寺と隣の豊国神社を繋ぐ巨石の石垣でした。
秀吉にゆかりのある巨石の石垣には、寄進した諸将の家紋が確認できます。


豊臣秀吉が、奈良の大仏よりも大きい金銅製の高さ6丈3尺(約19メートル)の大仏を安置しましたが、方広寺はその後も寛文2年(1662年)の震災と数度の火災に襲われました。

その後、天保14年(1843年)に木造の大仏が作られ「京の大仏」と呼ばれて親しまれていましたが、昭和48年(1973年)に焼失しました。


方広寺境内から東に伸びる細い通路を行くと・・・
大仏殿跡の発掘調査を終えた大仏殿跡緑地公園があるのですが
残念ながらハイキングのコースには入ってませんでした。(^^ゞ

大仏さんがあったことは聞いていましたが、この場所に何度も来ていながら・・・
今回のハイキングで、また京都のことが少し分かりました。(^^ゞ

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