御所の北東角
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御所の北東角の築地塀だけ直角ではなく
凹んでいる場所があります。
北東角の北面
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北東角の東面
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猿ヶ辻の説明板があります。
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猿ヶ辻
御所の築地塀が折曲がった部分の屋根裏に、一匹の木彫りの猿が見られます。
烏帽子をかぶり御幣をかついだこの猿は、御所の鬼門を守る日吉山王神社の使者ですが、夜になると付近をうろつき、いたずらをしたため、金網を張って閉じ込められたといわれています。
開国派とその反対派がせめぎあう幕末さなかの一八六三(文久三)年五月、公家で攘夷派の急先鋒の一人であった姉小路公知がこの付近で殺されたと伝えられています(猿ヶ辻の変)。
北東角の東面上部
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説明板によると、この金網の中に鬼門除けの猿がいるそうなので
近くによって見てみると・・・
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御所の鬼門を守る日吉山王神社の使者でありながら
いたずらをしたため、金網に閉じ込められたといわれる
烏帽子をかぶり御幣をかついだ猿がおりました。
※この辺りは何度も通っていますが
御所の鬼門であり、「猿ヶ辻の変」があった場所だと初めて知りました。(^^ゞ

御所の北東角の築地塀だけ直角ではなく
凹んでいる場所があります。
北東角の北面

北東角の東面

猿ヶ辻の説明板があります。

猿ヶ辻
御所の築地塀が折曲がった部分の屋根裏に、一匹の木彫りの猿が見られます。
烏帽子をかぶり御幣をかついだこの猿は、御所の鬼門を守る日吉山王神社の使者ですが、夜になると付近をうろつき、いたずらをしたため、金網を張って閉じ込められたといわれています。
開国派とその反対派がせめぎあう幕末さなかの一八六三(文久三)年五月、公家で攘夷派の急先鋒の一人であった姉小路公知がこの付近で殺されたと伝えられています(猿ヶ辻の変)。
北東角の東面上部

説明板によると、この金網の中に鬼門除けの猿がいるそうなので
近くによって見てみると・・・

御所の鬼門を守る日吉山王神社の使者でありながら
いたずらをしたため、金網に閉じ込められたといわれる
烏帽子をかぶり御幣をかついだ猿がおりました。
※この辺りは何度も通っていますが
御所の鬼門であり、「猿ヶ辻の変」があった場所だと初めて知りました。(^^ゞ