特認校 樫田小学校の前を右折すると「樫田支所」です。
樫田支所
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樫田支所でお昼にしてお弁当を食べることになりましたが
その目の前にあったのは「診療所?」です。
後で分かったのですが・・・樫田支所には診療所もあったのです。
樫田支所の前にある「合併記念碑」
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この地区は、丹波国桑田郡の一部で
江戸時代は亀山(亀岡)藩が治めていました。
昭和28年(1963)に町村合併促進法が施工され、その翌年、樫田村が合併への希望を表明しました。しかし、両者による合併へ向けた話し合いは、府県が異なる合併の例がないため進展しませんでした。
その後
昭和31年(1956)に新市町村建設促進法が施工され、「昭和の大合併」と言われるほど、市町村合併が盛んにされ、明治時代の町村合併で京都府南桑田郡樫田村となり、昭和33年(1958)に高槻と合併し平成30年(2018)は、合併60周年でした。
協定書には
樫田村は古くから人情・風習ともに似通っており、地域間の一体感も強く、交通面でも高槻市営バスによる利便性が図られていることを主な合併理由としています。
この時の合併は
地方自治法施工以来、全国で初めての府県を超えた町村合併(越境合併)として
当時、全国的なニュースになったといわれています。
※越境合併のことは、2008年に樫田支所へ来た時に教えて頂きましたが・・・
あれから11年も経っているのです。
樫田支所

樫田支所でお昼にしてお弁当を食べることになりましたが
その目の前にあったのは「診療所?」です。
後で分かったのですが・・・樫田支所には診療所もあったのです。
樫田支所の前にある「合併記念碑」

この地区は、丹波国桑田郡の一部で
江戸時代は亀山(亀岡)藩が治めていました。
昭和28年(1963)に町村合併促進法が施工され、その翌年、樫田村が合併への希望を表明しました。しかし、両者による合併へ向けた話し合いは、府県が異なる合併の例がないため進展しませんでした。
その後
昭和31年(1956)に新市町村建設促進法が施工され、「昭和の大合併」と言われるほど、市町村合併が盛んにされ、明治時代の町村合併で京都府南桑田郡樫田村となり、昭和33年(1958)に高槻と合併し平成30年(2018)は、合併60周年でした。
協定書には
樫田村は古くから人情・風習ともに似通っており、地域間の一体感も強く、交通面でも高槻市営バスによる利便性が図られていることを主な合併理由としています。
この時の合併は
地方自治法施工以来、全国で初めての府県を超えた町村合併(越境合併)として
当時、全国的なニュースになったといわれています。
※越境合併のことは、2008年に樫田支所へ来た時に教えて頂きましたが・・・
あれから11年も経っているのです。