高槻市営バス「田能西条」
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まちかど遺産北部地区のNo21
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高槻市大字田能小字週細にある「経塔(きょうとう)」です。
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経塔とは、経文などを納めて供養するための塔のことです。
この経塔は、江戸時代の文政8年(1825)に
田能の庄屋・並河氏の妻・音羽の発願で建立されたものです。
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側面などの碑文は、専念寺(亀岡市)の
15代住職・徹誉東嶺(てつよとうれい)によるものです。
碑文によると、音羽は尼講の女性とともに樫田や亀山(現・亀岡市)の村々を廻り、書写した法華経を集めて塔の下に埋納し、施餓鬼供養を行ったとあります。
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下部の蓮華台には音羽や尼講の女性の名などが刻まれています。
この十数年前の飢饉の際、村の年貢を納められなかったことで、並河氏が詰め腹を切ったとの伝承があることから、並河氏と飢饉で亡くなった人々の供養のため建立したのかもしれません。

まちかど遺産北部地区のNo21

高槻市大字田能小字週細にある「経塔(きょうとう)」です。

経塔とは、経文などを納めて供養するための塔のことです。
この経塔は、江戸時代の文政8年(1825)に
田能の庄屋・並河氏の妻・音羽の発願で建立されたものです。

側面などの碑文は、専念寺(亀岡市)の
15代住職・徹誉東嶺(てつよとうれい)によるものです。
碑文によると、音羽は尼講の女性とともに樫田や亀山(現・亀岡市)の村々を廻り、書写した法華経を集めて塔の下に埋納し、施餓鬼供養を行ったとあります。

下部の蓮華台には音羽や尼講の女性の名などが刻まれています。
この十数年前の飢饉の際、村の年貢を納められなかったことで、並河氏が詰め腹を切ったとの伝承があることから、並河氏と飢饉で亡くなった人々の供養のため建立したのかもしれません。