昨日からの続きです・・・
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続櫓から渡櫓へ上がる階段の右(東側)に見えていたのは
東入口が閉じられていたものだと分かりました。
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そして階段の両側から石垣が見えています。
●ここから大門の上にある「多聞櫓の渡櫓」です。
渡櫓の東室
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東室に入ると、広い部屋の真ん中に柱があって
中央室が一段高くなっているのが見えます。
渡櫓は、続櫓と同じく寛永5年(1628)徳川幕府によって建造されたが
天明3年(1783)に落雷で消失、幕末の嘉永元年(1848)に再建されました。
大坂城 石垣の刻印
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大手門
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東室の窓から大手門を見ています。
続櫓
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東室の窓から左側に続櫓が見えますが
続櫓の高さを見ると、渡櫓が高くなっているのが分かります。
渡櫓の中央室
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中央室は、東室から一段高くなっています。
室の北側に見えるのは・・・
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櫓解体修復遺品です。
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中央室では、大門の槍落としを見ることができます。
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槍落としの上にある窓から見ています。
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3箇所設置された槍落としです。
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そして、下から見た大門の「槍落とし」です。
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天井も見てきました。(^^ゞ
西室
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中央室から見た西室です。
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西室から中央室を見ています。
西室は、東室と同じく
中央室が高くなっているのが見えて、部屋の中央に柱があります。
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西室の西端に土間のようなところがあり「千貫櫓へ」の案内板。
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土間の右手にある入口から見えたのは「千貫櫓」です。
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千貫櫓へは、一度外に出てから向かいます。
渡櫓の1階部分は大門、2階は東室、中央室、西室、土間の4室ありました。

続櫓から渡櫓へ上がる階段の右(東側)に見えていたのは
東入口が閉じられていたものだと分かりました。

そして階段の両側から石垣が見えています。
●ここから大門の上にある「多聞櫓の渡櫓」です。
渡櫓の東室

東室に入ると、広い部屋の真ん中に柱があって
中央室が一段高くなっているのが見えます。
渡櫓は、続櫓と同じく寛永5年(1628)徳川幕府によって建造されたが
天明3年(1783)に落雷で消失、幕末の嘉永元年(1848)に再建されました。
大坂城 石垣の刻印

大手門

東室の窓から大手門を見ています。
続櫓

東室の窓から左側に続櫓が見えますが
続櫓の高さを見ると、渡櫓が高くなっているのが分かります。
渡櫓の中央室

中央室は、東室から一段高くなっています。
室の北側に見えるのは・・・

櫓解体修復遺品です。



中央室では、大門の槍落としを見ることができます。

槍落としの上にある窓から見ています。

3箇所設置された槍落としです。

そして、下から見た大門の「槍落とし」です。

天井も見てきました。(^^ゞ
西室

中央室から見た西室です。

西室から中央室を見ています。
西室は、東室と同じく
中央室が高くなっているのが見えて、部屋の中央に柱があります。

西室の西端に土間のようなところがあり「千貫櫓へ」の案内板。

土間の右手にある入口から見えたのは「千貫櫓」です。

千貫櫓へは、一度外に出てから向かいます。
渡櫓の1階部分は大門、2階は東室、中央室、西室、土間の4室ありました。