昨年から行きたいと思っていた「ターナー展」に、昨日(20日)行ってきました。
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ターナー展 (作品名 チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア)
会期 2014年1月11日(土)から4月6日(日)まで
会場 神戸市立博物館
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左端上の写真は、1775年ロンドン生まれの英国最高の画家で風景画の巨匠
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
左上
レグルス 1828年発表 1837年加筆
敵国にまぶたを切られ、陽光で失明した将軍レグルスの逸話を描いています。
左下
スピットヘッド・ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船
1808年発表
1807年に英国とデンマークが衝突し、降伏したデンマーク軍艦の護送の様子。
中央上
ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための
絵を準備するラファエロ 1820年発表
ターナーがローマで学んだ歴史や芸術、建築、風土などが盛り込まれ
当時のロマン主義の画家たちの間では、作中に過去の巨匠を描くことが
人気だったため、ルネサンス期の画家ラファエロが描かれています。
中央下
ヴェネツィア、嘆きの橋 1840年発表
嘆きの橋(ため息の橋)はドゥカーレ宮殿と牢獄を結ぶ橋です。宮殿内の
裁判所で有罪になった囚人が牢屋に収監されるときにここを通り、小さな
窓から外界を眺めて「ため息」をついたことから名付けられたそうです。
ヴェネツィア・嘆きの橋 大きい地図
右端
湖に沈む夕陽 1840〜45頃
ターナー晩年の作品の一つです。夕陽の陽光と湖面の反射を表したであろう
鮮やかな色彩に全ての輪郭線が飲み込まれています。
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英国屈指の美の殿堂 テート美術館
説明板には
ロンドンのテート美術館はテート・ブリテン、テート・モダンなど4つの館で構成され
英国屈指の美術館。1500年以降の英国美術と国際的な近現代美術、計7万点
以上にのぼり、質・量ともに世界最大のターナー・コレクションを誇る。
ターナーは、ロンドンのナショナル・ギャラリー内にターナー作品専用の展示室を
つくることを条件に、自作品を国花に寄贈すると遺言を残した。1851年にターナー
が亡くなった後、最終的に約300点の油彩画と、水彩画や素描など約2万点が
遺贈された。
これらの作品は当初ナショナル・ギャラリーに収められたが、その後。1897年に
テート美術館へ順次移されていった。 現在は一部の作品を除き、1987年にテー
ト・ブリテン内にターナー作品専用の展示棟として設立された「クロア・ギャラリー」
に収蔵されている。「クロア・ギャラリー」は、膨大なターナー研究の主要機関として
の役割も果たしている。
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夏目僧籍が執筆した小説や文章の中には、ターナーについて触れた記述が
いくつもあり、その一つが漱石の代表作の一つである小説 「坊っちゃん」 です。
主人公とともに釣りに出掛けた教頭の赤シャツが、瀬戸内海に浮かぶ島の松を
見て 「ターナー島」 と名付けた場面があります。
(「ターナー島」 名付けた島は、今も愛媛県松山市の沖にあるそうです。)

ターナー展 (作品名 チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア)
会期 2014年1月11日(土)から4月6日(日)まで
会場 神戸市立博物館
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左端上の写真は、1775年ロンドン生まれの英国最高の画家で風景画の巨匠
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
左上
レグルス 1828年発表 1837年加筆
敵国にまぶたを切られ、陽光で失明した将軍レグルスの逸話を描いています。
左下
スピットヘッド・ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船
1808年発表
1807年に英国とデンマークが衝突し、降伏したデンマーク軍艦の護送の様子。
中央上
ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための
絵を準備するラファエロ 1820年発表
ターナーがローマで学んだ歴史や芸術、建築、風土などが盛り込まれ
当時のロマン主義の画家たちの間では、作中に過去の巨匠を描くことが
人気だったため、ルネサンス期の画家ラファエロが描かれています。
中央下
ヴェネツィア、嘆きの橋 1840年発表
嘆きの橋(ため息の橋)はドゥカーレ宮殿と牢獄を結ぶ橋です。宮殿内の
裁判所で有罪になった囚人が牢屋に収監されるときにここを通り、小さな
窓から外界を眺めて「ため息」をついたことから名付けられたそうです。

右端
湖に沈む夕陽 1840〜45頃
ターナー晩年の作品の一つです。夕陽の陽光と湖面の反射を表したであろう
鮮やかな色彩に全ての輪郭線が飲み込まれています。
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英国屈指の美の殿堂 テート美術館
説明板には
ロンドンのテート美術館はテート・ブリテン、テート・モダンなど4つの館で構成され
英国屈指の美術館。1500年以降の英国美術と国際的な近現代美術、計7万点
以上にのぼり、質・量ともに世界最大のターナー・コレクションを誇る。
ターナーは、ロンドンのナショナル・ギャラリー内にターナー作品専用の展示室を
つくることを条件に、自作品を国花に寄贈すると遺言を残した。1851年にターナー
が亡くなった後、最終的に約300点の油彩画と、水彩画や素描など約2万点が
遺贈された。
これらの作品は当初ナショナル・ギャラリーに収められたが、その後。1897年に
テート美術館へ順次移されていった。 現在は一部の作品を除き、1987年にテー
ト・ブリテン内にターナー作品専用の展示棟として設立された「クロア・ギャラリー」
に収蔵されている。「クロア・ギャラリー」は、膨大なターナー研究の主要機関として
の役割も果たしている。
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夏目僧籍が執筆した小説や文章の中には、ターナーについて触れた記述が
いくつもあり、その一つが漱石の代表作の一つである小説 「坊っちゃん」 です。
主人公とともに釣りに出掛けた教頭の赤シャツが、瀬戸内海に浮かぶ島の松を
見て 「ターナー島」 と名付けた場面があります。
(「ターナー島」 名付けた島は、今も愛媛県松山市の沖にあるそうです。)