播州皿屋敷のお菊井戸の中を覗いてから
「ぬの門」に向かっていると、左側に「リの一渡槽」が見えました。
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その中には、明治・昭和・平成のシャチホコが展示されています。
「明治の鯱」は5代目
昭和の大修理の際に大天守の東側に上がっていた。(ウロコの彫が一番深い)
「昭和の鯱」は6代目
昭和の大修理の際に貞亨4年(1687年)の銘のある鯱が見つかり復元された。
「平成の鯱」は7代目
今回の保存修理では取り替えられた大天守最上層のレプリカで、6代目を再現。
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ぬの門
少し下りの階段になってます。
備前丸に入る大切な門は、脇戸付き二重の2層の櫓門です。
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黒塗鉄板で頑固な構えになっています。
石落としも設置してあり、1層は鉄格子窓、2層は出格子窓。
上山里曲輪の入口に、ハ-ト石と人面石があるそうなんですが
この写真のもう少し左側にあるそうなのですが、気が付かない人が
多いそうで、私もその中の一人なので写真はありません。(^_^;)))
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「ぬの門」前に、「扇の勾配」が見えます。
開いた扇の曲線に似ていることから「扇の勾配」と呼ばれる石垣で、上にいくほど反り返り、敵に石垣をよじ登らせないための工夫でもあったようです。
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反りをつけることによって高い石垣を積む事が出来るそうです。
近隣の山々から切り出された凝灰岩を使っているため、加工しやすい反面、もろさもあります。そこで当時の石工たちは、打ち込みはぎに積まれた石と石の間に間詰(まづめ)石を寸分のすき間なく詰め、400年もの間大天守を支えているそうです。
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角の部分は長辺を交互に積む「算木積」(さんぎつみ)という
積み方で、打ち込み切り込み接ぎの一種だそうです。
「ぬの門」に向かっていると、左側に「リの一渡槽」が見えました。

その中には、明治・昭和・平成のシャチホコが展示されています。
「明治の鯱」は5代目
昭和の大修理の際に大天守の東側に上がっていた。(ウロコの彫が一番深い)
「昭和の鯱」は6代目
昭和の大修理の際に貞亨4年(1687年)の銘のある鯱が見つかり復元された。
「平成の鯱」は7代目
今回の保存修理では取り替えられた大天守最上層のレプリカで、6代目を再現。

ぬの門
少し下りの階段になってます。
備前丸に入る大切な門は、脇戸付き二重の2層の櫓門です。

黒塗鉄板で頑固な構えになっています。
石落としも設置してあり、1層は鉄格子窓、2層は出格子窓。
上山里曲輪の入口に、ハ-ト石と人面石があるそうなんですが
この写真のもう少し左側にあるそうなのですが、気が付かない人が
多いそうで、私もその中の一人なので写真はありません。(^_^;)))

「ぬの門」前に、「扇の勾配」が見えます。
開いた扇の曲線に似ていることから「扇の勾配」と呼ばれる石垣で、上にいくほど反り返り、敵に石垣をよじ登らせないための工夫でもあったようです。

反りをつけることによって高い石垣を積む事が出来るそうです。
近隣の山々から切り出された凝灰岩を使っているため、加工しやすい反面、もろさもあります。そこで当時の石工たちは、打ち込みはぎに積まれた石と石の間に間詰(まづめ)石を寸分のすき間なく詰め、400年もの間大天守を支えているそうです。

角の部分は長辺を交互に積む「算木積」(さんぎつみ)という
積み方で、打ち込み切り込み接ぎの一種だそうです。