「陽の道しるべ」のあと本殿へ
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大鳥居を入ったところの表参道にありました。
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古事記・日本書紀には、伊弉諾大神が御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構へて余生を過ごされたと記されています。
ここで終焉を迎へた伊弉諾大神は、その宮居の敷地に神陵を築いて祭られたのが創祀の起源とする最古の神社が伊弉諾神宮です。
明治以前は神陵の前方に本殿は明治初年の国費により造営され、神陵の墳丘を整地して本殿を真上に移築し現在の景観になったそうです。
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中之鳥居の先に、本殿と境界のような橋があり
写真右の立派な燈籠の向こう側は池になっていて・・・
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赤い橋が架かっているのが見えます。
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神前の御池は、「放生池」とも呼ばれ、古くは放生神事(鳥や魚を放して生命の永続を祈る行事)が行われ、今でも病気平癒のための命乞に「鯉」を放ち、快癒の感謝に「亀」を放つ信仰習慣があります。
この池は、元は本殿後背の森を隔てる「ため池」と連結して、神陵の周囲に巡らされた濠の名残とされ、後世になって増援整備が行われたそうです。
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表参道の石橋を渡って、表神門をくぐって御本殿へと向かいます。
表神門の 扁額には「一宮皇太神」と書かれています。
古くから淡路國の一宮と崇められ、地元では日本第一番の宮であることから、いっくさん、日之少宮、津名明神、多賀明神、淡路島神、一宮皇大神などと呼ばれ、昭和二十九年に昭和天皇が「神宮号」を宣下され伊弉諾神宮と改称されました。

大鳥居を入ったところの表参道にありました。

古事記・日本書紀には、伊弉諾大神が御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構へて余生を過ごされたと記されています。
ここで終焉を迎へた伊弉諾大神は、その宮居の敷地に神陵を築いて祭られたのが創祀の起源とする最古の神社が伊弉諾神宮です。
明治以前は神陵の前方に本殿は明治初年の国費により造営され、神陵の墳丘を整地して本殿を真上に移築し現在の景観になったそうです。

中之鳥居の先に、本殿と境界のような橋があり
写真右の立派な燈籠の向こう側は池になっていて・・・

赤い橋が架かっているのが見えます。

神前の御池は、「放生池」とも呼ばれ、古くは放生神事(鳥や魚を放して生命の永続を祈る行事)が行われ、今でも病気平癒のための命乞に「鯉」を放ち、快癒の感謝に「亀」を放つ信仰習慣があります。
この池は、元は本殿後背の森を隔てる「ため池」と連結して、神陵の周囲に巡らされた濠の名残とされ、後世になって増援整備が行われたそうです。

表参道の石橋を渡って、表神門をくぐって御本殿へと向かいます。
表神門の 扁額には「一宮皇太神」と書かれています。
古くから淡路國の一宮と崇められ、地元では日本第一番の宮であることから、いっくさん、日之少宮、津名明神、多賀明神、淡路島神、一宮皇大神などと呼ばれ、昭和二十九年に昭和天皇が「神宮号」を宣下され伊弉諾神宮と改称されました。