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奈良・平城京大極殿跡→第51代天皇「平城天皇陵(へいぜいてんのうりょう」

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平城宮跡

平城宮跡が見えてきましたが・・・


ハイキングなので、前を通り過ぎるようです。(^^ゞ


平城宮跡を横目に通り過ぎて・・・平城天皇陵へ

平城天皇陵(へいぜいてんのうりょう)

奈良の古墳が密集する「佐紀」エリアの中央部
現存している古墳としては平城宮跡エリアに最も近い位置にある古墳です。

宝亀(ほうき)5年8月15日生まれ。
桓武(かんむ)天皇の第1皇子。母は藤原乙牟漏(おとむろ)。


第51代平城天皇は「天皇」としては平安京に遷都して間もない時代の
806年から809年まで3年余りの短い治世を過ごした存在とされています。

病気による退位後は「上皇」となり、その後の平安京を治めることになった「嵯峨天皇」と対立を深めることになり、平城京・奈良への再遷都を画策し挙兵を行う「薬子の変」で、敗北し出家したという経歴を持つ天皇ですが、平安京遷都後にも関わらず奈良の都である平城京とのつながりが強かったことで知られています。

敗北を悟ると即時に剃髪し仏門に入り、「薬子の変」で敗北した後も
「平城京」の地で、「上皇」として保証されていました。


築造時期は5世紀の前半とされており、 一般には「市庭古墳(いちにわこふん)」とも言われる平城天皇陵は、直径100メートルほどの大規模な「円墳」と考えられてきましたが、発掘調査により前方後円墳であったことが判明しています。

平城宮建設時には既に存在した事実と照らし合わせると、平安初期に在位した平城天皇の御陵とは矛盾を生じますが、宮内庁は「平城天皇陵」に治定されています。

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