
尼崎信用金庫創業80周年を記念して2001年に創設されました。
尼崎に3つしか残っていない明治時代の赤煉瓦建築の一つで
創業当時の本店の赤煉瓦を使用して昭和期に復元したものです。
平成2年1月5日「尼崎市都市美形成建築物」に指定され
平成23年3月29日に「兵庫県景観形成重要建造物」の指定を受けました。

それでは、地域の文化財などを展示する会館に入ります。

尼崎城の歴史的資料が展示されています。
太刀、甲冑

太刀
鎌倉時代中期の備前畠田の刀匠、初代守家作の太刀
国の重要文化財に指定されています。
甲冑
写真左:「金子札白糸威二枚胴具足」8代忠重が所用したもので兜の吹返し
胴の胸板には三つ葉葵が据えられています。
写真右:「浅葱糸威二枚胴具足」家祖信定が着用のもので甲冑にはところどころに
桜の紋が打ってあります。その甲冑からは古式の手法がみられます。
朱地葵紋染抜大旗

桜井松平家の再興の印として、桜井家に代々伝えられてきた大旗です。
桜井信定の父であり、徳川家康四代前である松平長親(ながちか)の代に
決めた家紋「葵」を染め抜いてあります。

家康が六十七歳のとき、三河安城(現愛知県安城市)を巡察していると
この大旗を立て、赤子を抱く一団が目にとまりました。
不思議に思ってたずねた家康は
この赤子こそが松平忠頼の嫡子・忠重だと知ります。
忠頼は先の浜松城主でしたが、旗本同士の囲碁論争に巻き込まれて、若くして死去。城地は没収されていました。その事情を察した家康は、同族の情から桜井家のお家再興を許し、武州深谷八千石に取り立てました。その後、桜井家は遠州掛川四万石を拝領し、大名の地位を確立していきました。
摂津国 尼崎城 歴代藩主

尼崎城に行く時は、先に「尼信会館」に行く事をおすすめします。(^^♪