
勝龍寺公園の西側の土塁を上がっています。

土塁を上がると、ガイドさんから左の方向に案内されました。

そこは、天守が建てられていたと推定される土塁の上でした。
“山崎合戦”の布陣図に関する解説板があります。

ガイドさんから説明を聞きながら
天王山を一望しています。

土塁の反対側(北側端上)から、北門の枡形虎口が見渡せます。
この土塁の下は、石垣を見たところなので・・・

もう一度、石垣を見たところへ戻ると

石垣の右に、光秀が脱出したとされる「北門跡」がありました。
その北門跡には、当時の石垣が一部残っていました。
北門跡前に立ち、慶応3年(1867)12月に大政奉還のあと
徳川慶喜が、京都・二条城から城外に出た「西門」が思い出されました。