大阪・通天閣が「医療従事者へ感謝の気持ちを込めてブルーライトアップ」で
思い出したことがあります。それは2016年に寄り道した「茶臼山」です。
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通天閣が見える、大阪市立美術館の前を北へ進むと「茶臼山」があります。
「茶臼山」は、美術館の帰りに何度か寄り道したことはありましたが
この日も美術館を出ると時間があったので、懐かしくなり寄り道してきました。
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この池は 「河底池 (かわぞこいけ)」 です。
和気清麻呂が788年(延暦7年)、旧大和川の流れを変えるために上町台地を開削した際に、古墳の濠を利用した名残が河底池だと言われています。
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茶臼山へ行くには、3つの道があるそうですが・・・
いつもと同じ「河底池」に架かる橋を通ることにしました。
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河底池に架かる 「和気橋(わけばし)」 は
和気清麻呂(わけのきよまろ) に、ちなんで名づけられたそうです。
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和気橋の先に見える茶臼山は、5世紀ごろの全長200m近い前方後円形古墳だと言われる説もありますが、自然陵だとも言われています。
大坂の陣の重要な舞台でもあり
茶臼山の戦いがあった歴史と謎が残る・・・標高26mの山です。
●「史跡 茶臼山」
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「茶臼山古戦場跡」 1615年(慶長20)年5月7日
紅の旗・吹貫であたかもつつじの花盛りのように群れなびかせた真田の赤揃が
陣を構える茶臼山の真田幸村隊三千五百は、この日の正午過ぎ、徳川方最強の
松平忠直率いる越前勢一万五千と激突し、真田の赤揃えと松平家の家紋のツマ
黒が交互に入り乱れる大坂夏の陣最大の激戦が茶臼山周辺で繰り広げられた。
(大坂夏の陣 天王寺口の戦い)
数では劣る真田隊であったが、高い戦意と捨身の攻撃で越前勢を突き破り
徳川家康の本陣目掛けて一文字に三度の攻撃を仕掛け、あとわずかで家康
の首に手が届くところまで攻めるも、数に優る越前勢が混乱から立ち直り反撃
を開始、しばらく茶臼山に拠って抵抗を続けた真田隊も越前勢の猛攻によって
奮戦むなしく壊滅し、真田幸村も激戦を戦い抜いて疲弊し茶臼山の北にある
安居天神で休息しているところを越前兵により討ち取られる。
真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由 「薩摩旧記」
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「大坂夏の陣」 天王寺口布陣図
左:徳川方 総兵力 155,000人 右:豊臣方 総兵力 55,000人
右上に、真紅に黄色銭が6つ描かれた “真田家” の 「六連銭 (六文銭)」
の旗印が描かれています。 旗印の六連銭は仏教の世界で言う六道銭の
ことで、三途の川の渡し賃のことでした。 説明板より抜粋
思い出したことがあります。それは2016年に寄り道した「茶臼山」です。

通天閣が見える、大阪市立美術館の前を北へ進むと「茶臼山」があります。
「茶臼山」は、美術館の帰りに何度か寄り道したことはありましたが
この日も美術館を出ると時間があったので、懐かしくなり寄り道してきました。

この池は 「河底池 (かわぞこいけ)」 です。
和気清麻呂が788年(延暦7年)、旧大和川の流れを変えるために上町台地を開削した際に、古墳の濠を利用した名残が河底池だと言われています。

茶臼山へ行くには、3つの道があるそうですが・・・
いつもと同じ「河底池」に架かる橋を通ることにしました。

河底池に架かる 「和気橋(わけばし)」 は
和気清麻呂(わけのきよまろ) に、ちなんで名づけられたそうです。

和気橋の先に見える茶臼山は、5世紀ごろの全長200m近い前方後円形古墳だと言われる説もありますが、自然陵だとも言われています。
大坂の陣の重要な舞台でもあり
茶臼山の戦いがあった歴史と謎が残る・・・標高26mの山です。
●「史跡 茶臼山」

「茶臼山古戦場跡」 1615年(慶長20)年5月7日
紅の旗・吹貫であたかもつつじの花盛りのように群れなびかせた真田の赤揃が
陣を構える茶臼山の真田幸村隊三千五百は、この日の正午過ぎ、徳川方最強の
松平忠直率いる越前勢一万五千と激突し、真田の赤揃えと松平家の家紋のツマ
黒が交互に入り乱れる大坂夏の陣最大の激戦が茶臼山周辺で繰り広げられた。
(大坂夏の陣 天王寺口の戦い)
数では劣る真田隊であったが、高い戦意と捨身の攻撃で越前勢を突き破り
徳川家康の本陣目掛けて一文字に三度の攻撃を仕掛け、あとわずかで家康
の首に手が届くところまで攻めるも、数に優る越前勢が混乱から立ち直り反撃
を開始、しばらく茶臼山に拠って抵抗を続けた真田隊も越前勢の猛攻によって
奮戦むなしく壊滅し、真田幸村も激戦を戦い抜いて疲弊し茶臼山の北にある
安居天神で休息しているところを越前兵により討ち取られる。
真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由 「薩摩旧記」

「大坂夏の陣」 天王寺口布陣図
左:徳川方 総兵力 155,000人 右:豊臣方 総兵力 55,000人
右上に、真紅に黄色銭が6つ描かれた “真田家” の 「六連銭 (六文銭)」
の旗印が描かれています。 旗印の六連銭は仏教の世界で言う六道銭の
ことで、三途の川の渡し賃のことでした。 説明板より抜粋