茶臼山の帰り「和気橋」を渡ると、来た道と違う緩やかな坂道があったので
その坂道を歩いて行くと、立派な門が見えました。
慶沢園 北側の入口(2016年)
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この立派な門は、「慶沢園」の北側に位置し
私の知っている「慶沢園」の入口とは別の「北門」でした。
北門の右側は「大阪市立美術館」です。
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中に入ると、伏見宮貞愛親王が命名された「慶沢園」の池に
あべのハルカスが映っています。
慶沢園は、江戸時代からの大阪の豪商 「住友家15代 吉左衛門」さんから
大正15年(1926)に、大阪市へ本邸と共に寄贈されたものです。
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舟石が見えてます。
名匠小川治兵衛により、1908年(明治41年)から作庭された日本庭園。
庭園の設計・施工者の「植治」こと小川治兵衛は、明治中期から昭和初期にかけて、東京の西園寺公望邸や平安神宮、円山公園など大規模な庭園を手掛け、近代造園のスタイルを確立したと称えられる造園家です。
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庭園の奥に見えている建物は、同じ時期に寄贈された
住友家の本邸だった「大阪市立美術館」です。
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慶沢園を歩いていると、どこかのお庭に似ていると思うことが
それは、御所の御池庭 (おいけにわ) でした。
四阿 (あずまや )
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早朝に、ここから見るハスの花がきれいだそうです。
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この入口(東南部に位置)が、私の知っていた「慶沢園」の入口です。
左横へ進むと、大阪市立美術館の正面玄関に出ます。
第15代住友吉左衞門さんは、明治37年(1904)に石造りの重厚な
重要文化財「中之島図書館」 の建物と、図書購入資金も寄贈されています。
重要文化財 「大阪市中央公会堂」 は、岩本栄之助氏の寄付でした。
この立派な人たちのことを、大阪人は忘れてはいけませんね。
その坂道を歩いて行くと、立派な門が見えました。
慶沢園 北側の入口(2016年)

この立派な門は、「慶沢園」の北側に位置し
私の知っている「慶沢園」の入口とは別の「北門」でした。
北門の右側は「大阪市立美術館」です。

中に入ると、伏見宮貞愛親王が命名された「慶沢園」の池に
あべのハルカスが映っています。
慶沢園は、江戸時代からの大阪の豪商 「住友家15代 吉左衛門」さんから
大正15年(1926)に、大阪市へ本邸と共に寄贈されたものです。

舟石が見えてます。
名匠小川治兵衛により、1908年(明治41年)から作庭された日本庭園。
庭園の設計・施工者の「植治」こと小川治兵衛は、明治中期から昭和初期にかけて、東京の西園寺公望邸や平安神宮、円山公園など大規模な庭園を手掛け、近代造園のスタイルを確立したと称えられる造園家です。

庭園の奥に見えている建物は、同じ時期に寄贈された
住友家の本邸だった「大阪市立美術館」です。

慶沢園を歩いていると、どこかのお庭に似ていると思うことが
それは、御所の御池庭 (おいけにわ) でした。
四阿 (あずまや )

早朝に、ここから見るハスの花がきれいだそうです。

この入口(東南部に位置)が、私の知っていた「慶沢園」の入口です。
左横へ進むと、大阪市立美術館の正面玄関に出ます。
第15代住友吉左衞門さんは、明治37年(1904)に石造りの重厚な
重要文化財「中之島図書館」 の建物と、図書購入資金も寄贈されています。
重要文化財 「大阪市中央公会堂」 は、岩本栄之助氏の寄付でした。
この立派な人たちのことを、大阪人は忘れてはいけませんね。