京の冬の旅 織田有楽斎の菩提所「建仁寺・正伝 永源院」のつづきです。
建仁寺には、その昔50院以上の塔頭寺院がありました。
しかし、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響により、現在は14院が残るのみとなり、正伝永源院もそのうちの一つです。
方丈
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細川護熙氏揮毫による襖絵の部屋を出て
隣の部屋へいきます。
院号・庵号の扁額「正伝院 永源庵」
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隣の部屋は「正伝院」「永源庵」の院号、写真禁止で
狩野洞雲(益信)筆「観音図・雲龍図・虎図」三幅対の軸。
部屋の前から庭に出て「茶席 如庵」に行けるようですが・・・
後からにして廊下の奥へ
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写真左に「茶席 如庵」が少し見えています。
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廊下は右へ続いています。
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もう少し奥まで行きます・・・
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突き当りの左は、渡り廊下のようで
右へも廊下が続いています。
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廊下の突き当りから見ると
奥に茶室のような建物が見えます。
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そして、振り返ると「茶室 如庵」が見えています。
●国宝の茶席「如庵(じょあん)」
如庵は、有楽斎が元和4年(1618年)に建仁寺塔頭の正伝院に建てた茶席で、現在は有楽斎の生誕の地・愛知県犬山城下に移されている国宝の茶室。
「如庵」の扁額
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「細川護貞 (ほそかわ もりさだ)」氏 揮毫。
細川 護熙(もりひろ)氏の父(1912- 2005)
追記
護貞氏は、旧肥後熊本藩主細川家の第17代当主。
第2次近衛内閣で内閣総理大臣秘書官を務めた。
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柿葺(こけらぶき)の端正な外観の、国宝の茶席「如庵」が
建仁寺・正伝 永源寺に復元されています。
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左端に土間庇をつくり
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袖壁の土間の左に円窓が切られ
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右には、正面から見えず配置された「躙口」
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この茶室の内部は二畳半台目で、床脇にウロコ板を入れ斜めの壁を作っているところから「筋違いの囲」といわれています。
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古暦を腰貼りにした「有楽囲(うらくがこい)」
竹を詰め打ちにした「有楽窓(うらくまど)」など・・・
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有楽斎好みの特徴を見ることができます。
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帰る時に、入る時には気付かなかった「鐘楼」が
写真の右に見えています。
建仁寺には、その昔50院以上の塔頭寺院がありました。
しかし、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響により、現在は14院が残るのみとなり、正伝永源院もそのうちの一つです。
方丈

細川護熙氏揮毫による襖絵の部屋を出て
隣の部屋へいきます。
院号・庵号の扁額「正伝院 永源庵」

隣の部屋は「正伝院」「永源庵」の院号、写真禁止で
狩野洞雲(益信)筆「観音図・雲龍図・虎図」三幅対の軸。
部屋の前から庭に出て「茶席 如庵」に行けるようですが・・・
後からにして廊下の奥へ

写真左に「茶席 如庵」が少し見えています。

廊下は右へ続いています。

もう少し奥まで行きます・・・

突き当りの左は、渡り廊下のようで
右へも廊下が続いています。

廊下の突き当りから見ると
奥に茶室のような建物が見えます。

そして、振り返ると「茶室 如庵」が見えています。
●国宝の茶席「如庵(じょあん)」
如庵は、有楽斎が元和4年(1618年)に建仁寺塔頭の正伝院に建てた茶席で、現在は有楽斎の生誕の地・愛知県犬山城下に移されている国宝の茶室。
「如庵」の扁額

「細川護貞 (ほそかわ もりさだ)」氏 揮毫。
細川 護熙(もりひろ)氏の父(1912- 2005)
追記
護貞氏は、旧肥後熊本藩主細川家の第17代当主。
第2次近衛内閣で内閣総理大臣秘書官を務めた。

柿葺(こけらぶき)の端正な外観の、国宝の茶席「如庵」が
建仁寺・正伝 永源寺に復元されています。

左端に土間庇をつくり

袖壁の土間の左に円窓が切られ

右には、正面から見えず配置された「躙口」

この茶室の内部は二畳半台目で、床脇にウロコ板を入れ斜めの壁を作っているところから「筋違いの囲」といわれています。

古暦を腰貼りにした「有楽囲(うらくがこい)」
竹を詰め打ちにした「有楽窓(うらくまど)」など・・・

有楽斎好みの特徴を見ることができます。

帰る時に、入る時には気付かなかった「鐘楼」が
写真の右に見えています。