
①「女人坂・念仏石坂と呼ばれる表参道」のつづきです。
光明寺という名が付く浄土宗のお寺には、2年前に行った京都市左京区の「アフロ大仏」の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)と、長岡京市の「粟生光明寺(あおうこうみょうじ)・もみじ寺とも呼ばれる」光明寺があります。
「粟生光明寺 もみじ散華」 12月3日(土)

表参道を登りきった所で、正面に御影堂が見えています。
観音堂

表参道を登りきった右側には「観音堂」があります。
塩田紅果(しおたこうか)の句碑

参道を上がった左側(観音堂の前)に句碑があります。
本名:塩田親雄(ちかお)1894-1988 三重県上野市生まれ
昭和初期に活躍した歌人で
光明寺のことを「うつし世の 浄土静けし 花に鳥」(静寂の中にさえずる鳥の声、また、桜の季節には花吹雪と、まるで極楽のその中にいるような世界に引き込まれてゆく)と詠んでいます。
観音堂 「紅葉期秘仏公開」

観音堂の前に人が集まっていたので行ってみると
紅葉期間だけの、秘仏が公開されていました。

お堂の中には、三体の秘仏です・・・

説明版があるので見ると
左から、不動明王様 観音菩薩様 地蔵菩薩様

もう一度、撮りましたが・・・上手に撮れませんでした。
経堂

観音堂の横に「経堂」があります。
経堂の前に見えるのは
法然上人袈裟掛け松

比叡山を降りた法然上人は、粟生で初めて念仏を説いたとき、しばらくこの地に留まろうと思って袈裟を松に掛けました。その時の松は、境内の裏山にあったそうですが、後に株分けされて境内に移されたのがこの松でした。
勧化所

「法然上人袈裟掛け松」が右に見えています。
その横にある建物「勧化所(かんげしょ)」は
寄進などを受けたしるしにお札などを渡す所です。
御影堂(みえどう)前の「鐘楼(堂)・梵鐘(鐘)」

鐘楼は明歴3年(1657)頃に建てられました。

「享保の火災」を免れ、寺内では御本廟についで古い建築です。梵鐘は昭和24年(1949)第72世隆空徳準上人代に再鋳されました。

「遣迎鐘(けんこうがね)」とも呼ばれています。
極楽をお勧めくださるお釈迦様(発遣)と、お浄土から迎えに来られる阿弥陀さま(来迎)が鐘と撞木のように出会うことを象徴しています。大きさは直径三尺二寸、三百余貫(約1200㌔)です。
御影堂(みえどう)

応仁の乱をはじめ、御影堂は何度か火災にあっています。
現在の建物は宝暦3(1754)年に建てられたもので、十八間四面(約33メートル)、本瓦葺、総欅の入母屋造で、近世浄土宗本堂の典型的な建築様式です。
京都の浄土宗寺院本堂として最大級、長岡京市では最大の木造建築です。
御影堂前の「法然上人」

御本尊は法然上人の御自作「張子の御影」を奉安し、善導大師、證空上人、熊谷蓮生法師、浄音上人等祖師像も安置しています。
※ 張子の御影は、建永二年二月(1207)法然上人が75歳の時に造られた尊像で、お弟子の罪により四国へ流罪になられる(建永の法難)船の中で聖信房湛空が、後の世の形見に何か形あるものを残して欲しいと申し出たことにより、母君秦氏からの手紙をもとに法然上人自ら造られたものでした。
法然上人の「石棺」、阿弥陀堂へと、つづきます。