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京都・粟生光明寺 ⑤「法然上人御火葬跡」

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④「御影堂→釈迦堂(方丈)→信楽庭(弥陀三尊の姿)」の
  つづきです。


信楽庭(しんぎょうてい)を後にして


階段を下りていきます。


ここも渡り廊下の長い階段です。

念彼観音力(ねんぴかんのんりき)

階段を下りた正面に部屋があり、その部屋の襖に書かれた
「念彼観音力」は、観音様を念じること。


お庭の写真を撮られている姿がありましたので


私も撮らせて頂きましたが、あのお部屋は・・・?

「椋(むく)」の木根飾り衝立

部屋を出て少し行くと玄関前に出ました。

この衝立は元、和歌山市梶取(かんどり)にある壇林総持寺にあった椋の木でした。この木が枯れたため、その根を二つに分けて衝立に仕立てました。
その半分を総持寺に残し、半分を光明寺に寄贈されたものです。


水盤に浮かぶ大輪の菊です。

玄関前

玄関を出ると、みたらし団子に焼き栗が・・・
美味しそうですが「もみじ参道」へ向かいます。


正面の階段は、御影堂への階段です。


左に「法然上人御火葬跡」、右は「勅使門」です。
近くまで行ってみます。

法然上人御火葬跡

法然上人は建暦二年(1212)正月25日80歳でご往生され、ご遺骸は京都の東山の地に一度は埋葬されましたが、嘉禄3年(1227)奈良や比叡山など旧仏教からの迫害から逃れるため、東山の大谷から京都太秦に移し、粟生の地に再度移して荼毘に付しました。

「勅使門(ちょくしもん)」

釈迦堂(方丈)前の、信楽庭から見えていた「勅使門」です。

鎮守社

法然上人のご遺骸がご火葬される時、どこからともなく2羽の鳥(カラスとハト)がやってきて、上空を舞うように回りました。

カラスは熊野、ハトは石清水の使鳥であることから、門弟の幸阿上人が、これは法然上人の火葬を悲しんで、両宮の神様がお使い下さったのだろうと気づかれました。

向かって右側に熊野権現、左側に石清水八幡宮の両神を勧請し、地鎮護法の神として崇め奉りました。 老朽化した旧社を2019年再建立し、新たに熊野本宮大社、石清水八幡宮より御分霊を迎え鎮守社が修復されました。

茂右ヱ門屋敷跡

1156年法然上人24歳の時、比叡山から教えを求めて、南都(奈良)の学匠へ訪問途中、長岡京粟生の里長者、茂右ヱ門邸に一夜の宿を借りられました。

「誰もが救われる教え」を求めて旅をしていることを聞いた茂右ヱ門夫婦は『教えに出会われたなら、最初に私共にお教え下さい』と願い、約束されました。

元祖法然上人他力念仏創述之処

1175年43歳、法然上人はこの地に再訪して初めて念仏の教えを説かれました。その長者屋敷跡と伝えられています。

見ごろの「もみじ参道」

見ごろにはチョッと遅いですが
もみじ寺と呼ばれる「もみじ参道」へつづきます。

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