京都・粟生光明寺 ⑤「法然上人御火葬跡」のつづきです。
もみじ参道 2022年12月3日(土)
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釈迦堂(方丈)→信楽庭→法然上人御火葬跡→鎮守社(右端)を
後にして「もみじ参道」へ向かいます。
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ここが「もみじ参道」の入り口のようです。
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粟生光明寺は、もみじ寺とも呼ばれるお寺です。
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見ごろには遅かったので心配してましたが
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「もみじ参道」は、期待していた以上です。
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薬医門が見えてきました。
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ここは、人気の撮影スポットです。
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初めて来た「もみじ参道」は、紅色のトンネルと
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紅色の絨毯のようです。
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陽の光で輝いています。
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薬医門は、延宝4(1676)年に建立されました。
「もみじ参道」の中腹に位置しています。
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もみじ参道は、まだまだ続きます。
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ハイキングも控えていたので
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来て良かった・・・(^^♪
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初夏の青葉も良いでしょうね。
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大きく枝を伸ばしています。
紅葉(もみじ)と、楓(かえで)は分類上は同じですが
●もみじは、5つ以上の深い切れ込みがあり
掌手の平を広げたような形状をしている。
●楓は、切れ込みが浅く葉先が細かな形状。
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もみじ参道を歩いてきました。
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表参道と、もみじ参道の分岐点の間に見えるのは
鈴鹿野風呂の石碑です。
鈴鹿野風呂の石碑
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俳人鈴鹿野風呂(1887-1971)は、高濱虚子に師事し京大生時代に学生同人を作り、関西のホトトギス派の中軸として活躍しました。
句碑の「浄土門 ここにはじまる 照紅葉」は
薬医門から「もみじ参道」を賞でた句です。
総門
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弘化2(1845)年に建てられた
高麗門様式の重厚な総門は光明寺の表玄関です。
長くなりましたが
京都・粟生光明寺「もみじ参道」は、これで終わります。
もみじ参道 2022年12月3日(土)

釈迦堂(方丈)→信楽庭→法然上人御火葬跡→鎮守社(右端)を
後にして「もみじ参道」へ向かいます。

ここが「もみじ参道」の入り口のようです。

粟生光明寺は、もみじ寺とも呼ばれるお寺です。

見ごろには遅かったので心配してましたが

「もみじ参道」は、期待していた以上です。

薬医門が見えてきました。

ここは、人気の撮影スポットです。

初めて来た「もみじ参道」は、紅色のトンネルと

紅色の絨毯のようです。

陽の光で輝いています。

薬医門は、延宝4(1676)年に建立されました。
「もみじ参道」の中腹に位置しています。

もみじ参道は、まだまだ続きます。

ハイキングも控えていたので

来て良かった・・・(^^♪

初夏の青葉も良いでしょうね。

大きく枝を伸ばしています。
紅葉(もみじ)と、楓(かえで)は分類上は同じですが
●もみじは、5つ以上の深い切れ込みがあり
掌手の平を広げたような形状をしている。
●楓は、切れ込みが浅く葉先が細かな形状。

もみじ参道を歩いてきました。

表参道と、もみじ参道の分岐点の間に見えるのは
鈴鹿野風呂の石碑です。
鈴鹿野風呂の石碑

俳人鈴鹿野風呂(1887-1971)は、高濱虚子に師事し京大生時代に学生同人を作り、関西のホトトギス派の中軸として活躍しました。
句碑の「浄土門 ここにはじまる 照紅葉」は
薬医門から「もみじ参道」を賞でた句です。
総門

弘化2(1845)年に建てられた
高麗門様式の重厚な総門は光明寺の表玄関です。
長くなりましたが
京都・粟生光明寺「もみじ参道」は、これで終わります。