油壁の横に、背の低い門がありました。
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それは小さな「ほの門」で、頭が当たらないようにして通り抜けると・・・
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右手に天守群を支える天守台 の石垣がありました。
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姫路城の戦国時代の遺構「姥ヶ石(うばがいし)」
「ほの門」をくぐった所の天守の石垣にある「姥が石」は、秀吉の命により大規模な改修工事が行われることになりましたが、「はの門」のように六角形の石灯籠の基礎だった石を転用するほどに、石垣に使う石が不足していました。
そんな時に 城下で餅を売って生活していた貧しい老婆が、お城のためにと自分が使っていた石臼(いしうす)を石垣の材料にしてくれと差し出したのです。小さな石臼でしたが、秀吉は大変喜び早速石垣に使い、秀吉は老婆に感謝して「姥ヶ石」と名付けたそうです。
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水一門(みずのいちもん)
「い・ろ・は・に・ほ」の門は天守を取り囲むように続いていましたが
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水二門
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水三門
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水六門
天守に 向かう道には「水 一門から水六門」と別の名前が付けられた門でした。

それは小さな「ほの門」で、頭が当たらないようにして通り抜けると・・・

右手に天守群を支える天守台 の石垣がありました。

姫路城の戦国時代の遺構「姥ヶ石(うばがいし)」
「ほの門」をくぐった所の天守の石垣にある「姥が石」は、秀吉の命により大規模な改修工事が行われることになりましたが、「はの門」のように六角形の石灯籠の基礎だった石を転用するほどに、石垣に使う石が不足していました。
そんな時に 城下で餅を売って生活していた貧しい老婆が、お城のためにと自分が使っていた石臼(いしうす)を石垣の材料にしてくれと差し出したのです。小さな石臼でしたが、秀吉は大変喜び早速石垣に使い、秀吉は老婆に感謝して「姥ヶ石」と名付けたそうです。

水一門(みずのいちもん)
「い・ろ・は・に・ほ」の門は天守を取り囲むように続いていましたが

水二門

水三門

水六門
天守に 向かう道には「水 一門から水六門」と別の名前が付けられた門でした。