西院伽藍(東側の回廊)から、東にある大宝蔵院に向かいます。
![]()
ここが、大宝蔵院への入口です。
![]()
綱封蔵(こうふうぞう)国宝
聖霊院の東に建つ寺宝を保管する蔵(入口の右)で、平安時代初期に造られた、床が髙く北と南に分けた二倉で構成され中央部が空所になっています。法隆寺には、このような倉が三十三棟も建ち並んでいたといわれています。
![]()
国宝「食堂」奈良時代と、重要文化財「細殿」鎌倉時代
![]()
写真左
もとは政所という法隆寺の寺務所だったが、平安時代に入ってから僧が食事をする食堂(じきどう)として使われるようになりました。
写真右
食堂の南側にある細殿(ほそどの)
(軒を接して建っていることから「双堂」とよばれる奈良時代の建築様式。)
![]()
大宝蔵院
百済観音堂、東宝殿、西宝殿からなる建物で1998年(平成10年)完成。
![]()
大宝蔵院の入口(ここからは撮影禁止です。)
●観音菩薩立像(百済観音)(国宝)
飛鳥時代、木造で細身で九頭身。「百済観音」の通称は近代になってからのもので、明治初期まで寺内では「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていた。
●観音菩薩立像(九面観音)(国宝)
唐から将来の像。香木を用い彩色を施さず白木で仕上げた檀像と呼ばれる像。
●観音菩薩立像(夢違観音)(国宝)
飛鳥時代後期(白鳳期)、銅造。もと東院絵殿の本尊。悪夢を良夢に替えてくれるという伝説からこの名がある。
●玉虫厨子(国宝)
飛鳥時代。仏堂形の厨子である。建築様式的には法隆寺の西院伽藍よりやや古い時代を示し、飛鳥時代の建築で透かし彫りの飾金具の下に本物の玉虫の羽を敷き詰めて装飾したことからこの名がある。現在、玉虫の羽は一部に残るのみで、当初の華麗さを想像するのはむずかしい。厨子の扉や壁面の装飾画も著名で、釈迦の前世物語である「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)や「施身聞偈図」(せしんもんげず)はよく知られています。
●阿弥陀三尊像及び厨子(橘夫人厨子)(国宝)
飛鳥時代後期(白鳳期)厨子内の阿弥陀三尊像は飛鳥時代後期(白鳳期)の金銅仏の代表作で、蓮池から生じた3つの蓮華の上に三尊像が表されています。
金堂に安置されていたものなどが、たくさんありました。

ここが、大宝蔵院への入口です。

綱封蔵(こうふうぞう)国宝
聖霊院の東に建つ寺宝を保管する蔵(入口の右)で、平安時代初期に造られた、床が髙く北と南に分けた二倉で構成され中央部が空所になっています。法隆寺には、このような倉が三十三棟も建ち並んでいたといわれています。

国宝「食堂」奈良時代と、重要文化財「細殿」鎌倉時代

写真左
もとは政所という法隆寺の寺務所だったが、平安時代に入ってから僧が食事をする食堂(じきどう)として使われるようになりました。
写真右
食堂の南側にある細殿(ほそどの)
(軒を接して建っていることから「双堂」とよばれる奈良時代の建築様式。)

大宝蔵院
百済観音堂、東宝殿、西宝殿からなる建物で1998年(平成10年)完成。

大宝蔵院の入口(ここからは撮影禁止です。)
●観音菩薩立像(百済観音)(国宝)
飛鳥時代、木造で細身で九頭身。「百済観音」の通称は近代になってからのもので、明治初期まで寺内では「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていた。
●観音菩薩立像(九面観音)(国宝)
唐から将来の像。香木を用い彩色を施さず白木で仕上げた檀像と呼ばれる像。
●観音菩薩立像(夢違観音)(国宝)
飛鳥時代後期(白鳳期)、銅造。もと東院絵殿の本尊。悪夢を良夢に替えてくれるという伝説からこの名がある。
●玉虫厨子(国宝)
飛鳥時代。仏堂形の厨子である。建築様式的には法隆寺の西院伽藍よりやや古い時代を示し、飛鳥時代の建築で透かし彫りの飾金具の下に本物の玉虫の羽を敷き詰めて装飾したことからこの名がある。現在、玉虫の羽は一部に残るのみで、当初の華麗さを想像するのはむずかしい。厨子の扉や壁面の装飾画も著名で、釈迦の前世物語である「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)や「施身聞偈図」(せしんもんげず)はよく知られています。
●阿弥陀三尊像及び厨子(橘夫人厨子)(国宝)
飛鳥時代後期(白鳳期)厨子内の阿弥陀三尊像は飛鳥時代後期(白鳳期)の金銅仏の代表作で、蓮池から生じた3つの蓮華の上に三尊像が表されています。
金堂に安置されていたものなどが、たくさんありました。