住吉大社からチンチン電車(阪堺電気軌道)に乗って妙国寺に向かいました。

妙興寺前 (阪堺電気軌道 みょうこくじまえ)

この道は、和歌山に通じているのですね。

「右 そてつ」は、 霊木「樹齢千百年余の妙国寺のソテツ」
(大正13年12月 国指定天然記念物)のことです。

土佐十一烈士墓所(堺事件)
堺事件 とは、慶応4年(1868年)2月に堺で起きた土佐藩士とフランス水兵との衝突です。堺の町を警護していた土佐藩士と上陸してきたフランス水兵が出くわした時に、言葉が通じないこともあり意思疏通ができない中いざこざとなって、発泡が起きフランス水兵が殺傷されました。
外交問題になり、フランス側からの最終交渉の結果賠償金の支払いと加担した20人の切腹を要求してきたが、慶応4年2月23日に双方立合いの下境内で行われたが、余りにも凄惨な光景だったため11人の切腹を最後にフランス側から中止の申し入れがあり、残った9人は土佐に流刑されたのですが12番目の橋詰愛平氏は生涯墓守りをしたそうです。
堺事件のことは知っていましたが、妙国寺に墓所があったとは驚きました・・・。

戦国時代、織田信長が堺に来たとき妙国寺は宿所とし見事な蘇鉄の枯山水を見ながら、利休などの接待を受けていました。堺の鉄砲のおかげで天下を統一し琵琶湖岸に安土城を築き、妙国寺の蘇鉄を移植させましたが・・・
毎夜「堺に帰りたい」とすすり泣く怪しげな声が聞こえ、霊気が城中を悩まし激怒した信長が部下に命じてソテツを切らせたところ、切り口より鮮血が流れ大蛇のごとく悶絶した如く見え、さすがの信長も恐れて妙国寺に戻しました。

霊気の蘇鉄は写真に撮ることはできませんが、お庭の立派な蘇鉄が撮れました。

階段の間を通った正面に拝観受付があります。

受付を済ませると
霊木の蘇鉄・蘇鉄枯山水の庭(駿府の国を再現した富士山など)、宝物資料館(土佐十一烈士の遺品・加藤清正奉納の宝剣・ルソン壺など歴史を感じる物ばかり)、土佐十一烈士のお墓、正岡子規の句碑、徳川家安の歌碑 を案内してくれました。

妙国寺に戻った蘇鉄は今にも枯れそうになり、日珖上人が読経したところ回復したことから「蘇鉄」という名がついたと言われています。
この伝説(黄字部分)は、江戸後期に書かれた武勇伝「英傑三国誌伝」にも登場し
織田信長を震撼させたソテツの伝説として伝えられています。
現在、妙國寺の大ソテツは樹齢1100年と言われ、大小120数本の幹枝を数え周囲は17m、樹高は5m以上にも。堺では唯一つの国の天然記念物に指定されています。