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台風11号で初めての 「避難準備情報」

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おおさか防災情報メールがあり、台風11号のため9日の16:30に
「避難行動の開始を準備する避難準備情報」が発令されました。

玄関から外を見ると、少し風があるだけで辺りの道は乾いています。
台風が来ていると言われなければ、気にならないほどなのですが・・・
今夜から明日のお昼頃まで注意が必要なようです。 (^_^;)))

8月15日限定のハスの葉に包まれた 「白むし弁当」

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毎年同じですが、8月15日には出来立ての 「お送り団子」 と
ハスの葉に包まれた、仏さんのお弁当 「白むし弁当」 を買ってきます。


あれ~お弁当がまた小さくなってます。(^_^;)))
初めて買った白むし弁当は、今の2倍はあったような・・・
でも、我が家には欠かせない母のお弁当です

京都・岩船寺(がんせんじ)

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岩船寺は、京都府の南端の奈良県境に近い当尾(とうの)の里にあります。


岩船寺の山門前 (7月31日


三重塔(室町時代)重要文化財

天長二年(825)智泉大徳入滅の後、十年を経て承和年間(834~847)に
仁明天皇が智泉大徳の遺徳を偲んで建立されたといわれていたが刻銘により
室町時代の嘉吉二年(1442)に建立されたことが確認されました。


十三重石塔 (鎌倉時代) 重要文化財

十三重石塔は正和三年(1314年)に妙空僧正の造立と伝えられ
軸石のくぼみから水晶の五輪舎利塔が見つかっています。


阿宇池の奥に本堂が見えています。(三重塔の前より)
昭和63年(1988年)に再建された建物で
平安時代の阿弥陀如来坐像が安置されています。

寺伝では
天平元年(729年)聖武天皇の勅願によって行基が建立した。
弘仁4年(813年)、嵯峨天皇の皇后、皇孫誕生祈願成就をうけて
堂塔伽藍を整備され、寺号、岩船寺となる。


小さな売店と、農作物の直売所がありました。

境内には四季折々の花が咲いている花寺ですが
岩船寺は、雨季に咲くアジサイの名所だそうです。

初めて聞いた「緊急停車信号」

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23日のお昼頃、JRに乗ろうと駅まで行くと「快速」が数分遅れていました。
最近、線路内に侵入、人身事故などで遅れることが毎日のようにあるので
「また遅れてる・・・今日は何があったのだろう~?」と思っていたのですが

その遅れてきた電車に乗って、次の駅に向かってしばらくすると・・・
今度は車内で初めて聞く(爽やかな感じの)メロディーが流れてきました。
そして「緊急停車の信号が有りましたので停車しています。」のアナウンスが
ありました。(これは、私が初めて聞いた緊急停車の信号だったのです。)
数分のあいだその場で停車してましたが、安全が確認され動き出しました。

この緊急停車の原因は、踏みきり内に人が侵入していたことだったのですが
遅れていた元の原因は、線路内に煙が見えたので安全の確認だったそうです。
目的地には少し遅れましたが、どうやら無事に着くことができました。(^з^)-☆

高槻市 一時避難情報

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以下の地区で一時避難が発令されました。

災害名称 :20140824風水害
発表日時 :2014/08/24 19:30
対象地区 :女瀬川・安威川周辺地区
区分   :一時避難

女瀬川・安威川の水位は避難判断水位に到達しており、
今後、水位が上昇する恐れがあります。

周辺の住民は自宅の2階以上などに一時的に自主避難を始めてください。
今後の河川の状況に十分ご注意ください。

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台風11号の時と同じ内容の一時避難のメールです。
女瀬川・安威川の周辺とは、どの辺りまでを指すのでしょう。?

少し前までは、これぐらいの雨で一時避難のメールは勿論なかったし
気にもならなかったのですが、最近のニュースなどで見て怖いと思っても
私には、まだ他人事のように思えるところがあるようです。

麻布十番の名物 「麻布かりんと」

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この数日、過ごしやすい日が続いています。



上段左から
麻布かりんと・野菜ミックスかりんと・唐辛子味噌かりんと・渦巻かりんと

下段左から
レーズンかりんと・あられかりんと・梅ばちかりんと・アップルパイかりんと


麻布十番は、300年以上の歴史がある商店街と
江戸時代の外国人居住に始まる国際的な香り。

そんな麻布十番に、昔なつかしいかりんとうのお店
(「かりんと」だけで50種類)があるそうです。

アール・ヌーヴォーの華 「ガレ・ドーム展」

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アール・ヌーヴォー期硝子工芸の 第一人者であったエミール・ガレ
その影響から硝子工芸品を残したドーム兄弟の作品を見てきました。

エミール・ガレは、1846年フランス東部のナンシーに生まれました。
1877年に父の会社を継承、ガラス器、陶器の製造販売を手掛け
1878年パリ万国博覧会に参加し、陶器とガラス部門で銅賞を受賞。

そして、1889年パリ万国博覧会でガラス部門でグランプリを受賞しました。
1894年ナンシーにガラスの窯を設置し、アール・ヌーヴォー・ナンシー派の
指導者となり、ガラス器の製造で素晴らしい作品を残されました。



お散歩がてら駅前に出てガレの作品が見れるなんて、お散歩はスポーツとは
言えなくても、ガレの作品が見れたので一足早い秋を楽しんだ気分です。(^з^)-☆

会期:8月27日(水)~9月8日(月)
会場:西武高槻店3階 美術画廊

京料理・美濃吉の 「具だくさんちらし寿司 」

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遅いお昼になったので、家でゆっくりと食べれるお弁当を買ってきました。



上の写真が 「具だくさんのちらし寿司」です。
時々はお外でお昼ご飯してますが、今日は家でゆっくりと頂きました。

昔から食べることが好きなので、今でもよく食べていますが
細い細いと言われていた頃に、少しだけ戻りたいと思ってます。

夜はお酒を欠かせないので、夜のご飯は食べないようにしていますが
簡単に済ませがちなお昼ご飯にはしたくないと思ってます。
でも・・・今のところ効果はなく、ふくよかになってます。(^_^;)))

國定 浩一氏の「どうなる!?日本の政治・経済」

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この講演は、高槻市明るい選挙推進協会創立30周年記念講演会です。

國定 浩一氏(くにさだ こういち )は日本の経済評論家です。
東京府生まれの大阪府育ちで、大阪府立北野高等学校から
東京大学法学部卒業。専門は日本経済、関西経済だそうです。

日 時:10月4日(土) 午後1時45分~
会 場:高槻市現代劇場文化ホール3階

経済の講演は初めてなので、時間があれば行きたいと思ってます。(^-^)/

エリアメール 「訓練通報 大阪」

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これはエリアメールの「大阪880万人訓練」の訓練通報です。
実行委員会を代表して大阪府から、大阪府沿岸全域に大津波警報が
11時30分に発信されたものです。

こういうのを見ると、近いうちに起こるような気がして怖い感じがします。
阪神大震災、東日本大震災のあと備えていたのも、見直しが必要ですね。

教えてもらってから続けてます。

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これは、お台所のスポンジを煮沸消毒をしているところです。

友人がお料理教室に通っていたときに、ブログで紹介されていたので
私もあれから週に2回ほどですが、お台所のスポンジを煮沸消毒してます。
初めは面倒だと思ったこともありますが、今は何ともありません。

デング熱感染が、他の場所でも見つかったそうですが
蚊は色の濃いものに近づく傾向があるそうなので
白など薄い色のシャツやズボンを着ると良いそうです。

京都・普段は見学できない文化財が時別公開 (^з^)-☆

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京都は、私の育った大阪から近いこともあって学生の時から行ってますが
今日は「特別公開」のしょうざん、五摂家の旧九条家の別邸「拾翠亭 茶室」
京の花街 ・新選組ゆかりの島原の輪違屋(わちがいや)、角屋(すみや)と
私の知らない初めてのところに行ってきました。

コースは、京都駅を10時30分に出発して
しょうざん 峰玉亭→ しょうざん 紙屋川別館 湧泉閣でお昼ご飯→ 拾翠亭→島原
驚いたことに、1台だと思っていたツアーのバスが人気で3台になってました。!

島原では写真禁止のところもありましたが、撮ってきた写真は遅れながらもアップ
しますので、京都が好きな人は私の見た京都の時別公開をご覧ください。

相国寺 承天閣美術館 「伊藤若冲の名宝展」 相国寺・金閣寺・銀閣寺所蔵

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2011年6月に、細見美術館学芸員の伊藤京子氏 の講座
「細見コレクションの魅力 琳派・若沖を中心に」 を受講したことがありますが
今日は、相国寺 承天閣美術館の 「 伊藤若冲の名宝展」 に行ってきました。

伊藤若冲と言えば(1716~1800)『鶏図屏風』六曲一双 等が知られていますが
鹿苑寺の大書院の4間が、若冲によって障壁画が描かれているのを知りました。

重要文化財 鹿苑寺(金閣寺)大書院旧障壁画五十面全展示は、9月23日(火)迄
私はファンですが、若冲ファンでなくても見応えのある名宝展でした。

金水引(きんみずひき)、藪みょうが、ホトトギス

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◯ 一番上の黄色い花は 「金水引 (きんみずひき)」
黄色の5弁花が咲き、葉っぱは3つに裂けギザギザで服にひっつく。
金箔(きんぱく)色の水引や元結(もとゆい)のことを「金水引」と
いいますが、この花の形がこの「金水引」に似ていることから命名。

◯ その下の白い実は 「ヤブミョウガ(藪茗荷)」
ツユクサ科ヤブミョウガ属の多年草で、日本では関東以西に分布する在来種。
名の由来 は、藪に生えていて葉が茗荷に似ている事から命名。

◯ 一番下の花は、ご存じの方が多い 「ホトトギス」
茎が湾曲や下垂して花を咲かせる姿は風情があり、山野草として 人気の植物で
斑点のある花びらが、ホトトギス(鳥)のお腹にある模様と似ていること命名。

今日のお花は、京都の「京料理 紙屋川」で見たお花です。(^з^)-☆

洛北・鷹ヶ峰三山を借景にひろがる「しょうざん庭園」

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「2014年 京の夏の旅」で、しょうざん北庭にある迎賓館「峰玉亭」が
10年ぶりに特別公開されていました。 9月7日(日)

「しょうざん」という名前は、戦後ウール織物で財をなし三万五千坪の
四季折々に表情を変える庭園に、戦後消失の運命にあった美しい日本の
建造物(点在する茶室など)を移築された創業者は「松山政雄」氏です。
その苗字「松山」を音読みして「しょうざん」になったそうです。


しょうざん北庭の門です。
しょうざんは、大文字山の麓で金閣寺に隣接する場所にありました。


門を入ると、目の前に北山台杉が見えました。


台杉は、北山杉の「取り木」と呼ばれる台をつくり
そこから枝を垂直に伸ばして「立ち木」にした杉を言うそうです。


北山杉は、桂離宮などに使われた朝廷御用木で「京都府の木」に指定され
庭園内の杉は、すべて北山から移植された樹齢が350年~500年だそうです。


苔がとてもきれいです。

左手に、数寄屋造りの迎賓館「峰玉亭(ほうぎょくてい)」が見えてきました。
つづく・・・

文化財時別公開 「しょうざん 峰玉亭(ほうぎょくてい)」

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北山台杉や紀州青石で造られた、約3万5000坪の広大な「しょうざん庭園」の
中に建つ峰玉亭は、創始者松山政雄氏が昭和30年代に建てた数寄屋造です。
南天の床柱や欅の一枚板の床板など、全国から選りすぐりの材を集めて建てられ
江戸期の狩野派の襖絵や、竹内栖鳳の掛軸が掛けられた迎賓館でした。


峰玉亭の玄関です。


初めに案内された部屋は、栖鳳(せいほう)の間
竹内栖鳳の掛軸がかけられており、部屋の名前になっています。

一枚板の床に南天の床柱、家にも南天はありますが・・・
こんなに太い南天は初めて見ました。


そして狩野派の襖絵です。


廊下の床財は「とちの木」です。
(肌触りが良くて裸足で歩きたいほど)


廊下の天井部分も、各地から集められた竹で凝っています。
(すべての天井に、凝った竹が使われていました。)


こんなお部屋も・・・


ここは、金箔の襖のお部屋です。


いま通ってきた廊下の端に鶏の襖絵が・・・
これは伊藤若冲が描いたものです。


吉井勇の間
商談に使われた部屋で、部屋の片側が書院棚のようになっています。
そこに商品(着物)を並べて、お客さんに品定めをして貰っていたそうです。


「吉井勇の間」に名付けられた、吉井勇の直筆がかけられています。


振り返えると、すぐ後ろに「円山応挙」の襖絵が・・・


応拳の名前があります。
こんなに近くで見ていいの? と思うほど近くです。(^з^)-☆


最後に案内された部屋です。
床柱は最初の部屋にあったナンテンと同じ木の下半分だそうです。


富岡鉄斎の作品があります。(富岡鉄斎の間?)


窓の外に見えるのは、坂東妻三郎邸にあった梅ノ木が移植されたものだそうです。

しょうざん・京料理「紙屋川別館 湧泉閣」

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特別公開の峰玉亭を出たあと
同じ庭園内にある「紙屋川別館 湧泉閣」に向かいました。


ここは、今日のお昼を頂く「紙屋川別館 湧泉閣」です。


屋根を見ると・・・


冷製の炊き合わせに、冷やし茶碗蒸しがあります。

「梅干しだと思ったらトマトだわ」の声が聞こえたので
私も炊き合わせの赤いのを食べると、それはプチトマトでした。
品数も多く美味しかったので満足のお昼でした。(^з^)-☆


昔、タスキ掛けの職人が紙を漉いたという「紙屋川」の渓流です。
だから紙屋川の名前なんですね。


紙屋川は、天神川の上流部の呼び名で古くは西堀河だったそうです。
「天神川」の名は、中流で北野天満宮の西を流れているからだそうです。

しょうざん庭園「酒樽茶室と裏千家設計の聴松庵」

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紙屋川を渡ると台杉はなく景色は一変してました。


酒樽に茅葺をのせた酒樽茶室です。


こちらが入口のようです。


お茶室に近いところに門があります。


特別公開の峰玉亭が見えてます。


ここにも、酒樽のお茶室があります。


聴松庵(ちょうしょうあん)

珍しく案内板がありました。
裏千家11代・玄々斎(げんげんさい)自らの設計による茶室で
「下座床(しもざどこ)」の様式を用い、突き上げ式の窓です。

明治維新、廃藩置県の際に大徳寺から何度も場所を変えて
移築を繰り返しながら、しょうざん庭園に落ち着いたそうです。

特別公開・京都御苑 旧九條家の別邸「拾翠亭(しゅうすいてい)」

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拾翠亭は、京御苑の南の一角に建つ江戸時代後期に九條家の別邸として
建築されたものであり、当時の公家の生活と数寄屋風書院造りを現在に
伝える数少ない 貴重な文化遺産です。(五摂家の一つだった)


「九條邸跡」の説明板が立っている高倉橋のたもとです。

九條池の中央に架かる立派な反橋は、明治十五年に施工しました。
この九條池は、勾玉の形から「勾玉の池」とも呼ばれているそうです。


ここが「拾翠亭」です。

「拾翠亭」の名前は、緑の草花を拾い集めるという意味が込められており
「翠」の字には、みどりの美しい鳥のカワセミという意味があり
この池に数多くのカワセミが飛来したことから名付けられたそうです。


初めに案内されたのは一階の広間です。

室内は十畳ほどの部屋で、床柱は皮付き丸太を用い簡素な竿縁天井です。


広間の東側に広縁があり、九條池に向かっている広縁は幅広の板を敷いた部分と
榑縁(くれ)の部分に別れています。 (広縁中央の少し段が有るところ。)

天井も広板部分は鏡天井ですが、榑縁(くれ)の部分は化粧屋根裏になってます。
天井の構成を分けることで、座の性格が違うことを暗示しているそうです。


子間
広間の北側にある茶室です。


三畳中板の子間で、

広間と子間が隣接していることから、お公家さんたちは
二つの茶室を行き来しながらお茶を楽しまれていたようです。


これは染みではなく「ほたる壁」です。


ここは、二階の座敷です。

南西隅に踏み込み床を構える、一階の広間より自由なお床のようです。


二階から見える高倉橋と、大きなサルスベリの木が見えます。


二階の窓に、丁子七宝の透かし彫りがありました。

九条家の家紋は九条藤なのですが
別紋として、この丁字紋を使っておられたのでしょうか?


お庭に出ると、一階の広縁などがよく分かります。

拾翠亭は二階建ての数寄屋造りで
屋根の上には一対の鯱が置かれてました。


九條池の北側に、厳島神社が見えてます。

広島県・厳島神社の分社で、鳥居が横に真っ直ぐではなく
「京都三珍鳥居」の 一つなのだそうです。

文化財時別公開・新選組ゆかりの島原に現存する置屋 「輪違屋 」

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10年ぶりの一般公開される輪違屋(わちがいや)さんは
元禄年間(1688~1704)の創業以来320年以上も営業されている


旧花街・島原に現存する唯一の置屋です。


中に入ると大きな階段がありました。


階段の横に入ったところです。
一階の座敷には、新選組の近藤勇の屏風がありました。


これは輪違屋の入場券ですが、写真を撮るのは禁止になっている
二階の座敷にある、襖に道中傘を貼り込んだ「傘の間」です。

同じ二階の写真禁止だったのは、壁に本物の紅葉を塗り込んでかたどった
座敷の「紅葉の間」が残っていました。 二階の部屋はすべて廊下から部屋を
見るだけだったので、部屋に入って見ることが出来なくて残念でした。
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