拾翠亭は、京御苑の南の一角に建つ江戸時代後期に九條家の別邸として
建築されたものであり、当時の公家の生活と数寄屋風書院造りを現在に
伝える数少ない 貴重な文化遺産です。(五摂家の一つだった)
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「九條邸跡」の説明板が立っている高倉橋のたもとです。
九條池の中央に架かる立派な反橋は、明治十五年に施工しました。
この九條池は、勾玉の形から「勾玉の池」とも呼ばれているそうです。
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ここが「拾翠亭」です。
「拾翠亭」の名前は、緑の草花を拾い集めるという意味が込められており
「翠」の字には、みどりの美しい鳥のカワセミという意味があり
この池に数多くのカワセミが飛来したことから名付けられたそうです。
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初めに案内されたのは一階の広間です。
室内は十畳ほどの部屋で、床柱は皮付き丸太を用い簡素な竿縁天井です。
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広間の東側に広縁があり、九條池に向かっている広縁は幅広の板を敷いた部分と
榑縁(くれ)の部分に別れています。 (広縁中央の少し段が有るところ。)
天井も広板部分は鏡天井ですが、榑縁(くれ)の部分は化粧屋根裏になってます。
天井の構成を分けることで、座の性格が違うことを暗示しているそうです。
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子間
広間の北側にある茶室です。
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三畳中板の子間で、
広間と子間が隣接していることから、お公家さんたちは
二つの茶室を行き来しながらお茶を楽しまれていたようです。
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これは染みではなく「ほたる壁」です。
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ここは、二階の座敷です。
南西隅に踏み込み床を構える、一階の広間より自由なお床のようです。
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二階から見える高倉橋と、大きなサルスベリの木が見えます。
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二階の窓に、丁子七宝の透かし彫りがありました。
九条家の家紋は九条藤なのですが
別紋として、この丁字紋を使っておられたのでしょうか?
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お庭に出ると、一階の広縁などがよく分かります。
拾翠亭は二階建ての数寄屋造りで
屋根の上には一対の鯱が置かれてました。
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九條池の北側に、厳島神社が見えてます。
広島県・厳島神社の分社で、鳥居が横に真っ直ぐではなく
「京都三珍鳥居」の 一つなのだそうです。