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京都府立植物園の「水琴窟(すいきんくつ)」

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梅園の横道に「水琴窟」の案内板がありました。
あの澄んだ水琴窟の音が聞きたくなり入っていくと


水琴窟の前に竹筒(写真左下)が二本添えられていました。

竹筒に耳をあてると心地良い音が聞こえてきました。
水琴窟は、江戸中期の茶人で小堀遠州が発明したそうで
日本庭園の仕掛けの一つだったとか・・・


水琴窟がゆっくりと楽しめる「京都府立植物園」でした。
もう一度、クスノキ並木を歩きたいなぁ・・・と思っていると
テレビで京都府立植物園で歩いたバラ園が紹介されてました。

金木犀(キンモクセイ)と夏の残しもの

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我が家の庭に秋の訪れを知らせてくれる金木犀に


お向かいの人から『良い香りを楽しませて貰ってます。』と
声を掛けられ、一緒に香りを楽しんでいると・・・

この夏に、うるさく鳴いていたセミの脱け殻がありました。
ミンミンゼミ? それともアブラゼミ? 鳴き声を聞くだけで暑かったけど
今は夏の数日を一緒に過ごしたセミの脱け殻を見て、愛おしく感じます。

名前が分からない「かわいい蛙がいるような花」

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京都府立植物園に行ったときのことですが・・・


サル顔のランを見た後、温室の出口に近いところで
小さな花に蛙(写真右側)がいるように見えたので近づいて見ると


かわいい蛙に見えていたのは、花の一部だったのです。
花名を調べたのですが・・・分かりませんでした。

第48回 高槻市菊花展 の準備が始まりました。(*^^*)

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期間:平成27年10月25日(日)~11月7日(土)
場所:市役所東側玄関前 (10月24日 土曜日

駅への通り道なので、開催中は何度も楽しませて貰ってます。

神戸王子動物園のパンダ

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ジャイアントパンダはアドベンチャーワールドで見たことがありますが
神戸王子園でも見れると聞いたので行ってきました。


王子動物園のジャイアントパンダ「旦旦」は
今年の9月16日に20歳のお誕生日を迎えたそうです。

人間なら成人式ですが、パンダが人間だったら何歳なのでしょう。
時々、私たちの見える所に出てサービスしてくれてます。

後で知ったのですが、王子動物園はジャイアントパンダとコアラを
一緒に見ることができる日本で唯一の動物園だそうです。

ハロウィーンの「かぼちゃの中に栗が入った」和菓子

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私のお気に入りのお店でもあり
テレビでも紹介された「像屋」さんに行ってきました。


左:ハロウィーン「かぼちゃの中に栗」
右:柿が入っているので「柿だいふく」

可愛いでしょう! あまり甘くなくて美味しいですよ。

~~~~~~~~~~~ (*^^*) ~~~~~~~~~~~

体が不自由になって、私と「会うのは嫌・・・」だと言っていた先生に
今年から、ひとつきに一度は訪ねるようになって今回で10回になりました。

たいした物は持っていかないのですが、いつも「何もいらない」と言って
おられたのですが、上写真を家用とは別に先生に持っていきました。

すると、今日は帰るときに『ありがとう!また来てね。』と何度も言って
玄関まで車椅子にのって出て来られ、手を振って笑顔で見送ってくれました。

いつも凛とされていた先生から、こんな嬉しい言葉が聞けるなんて驚きです。
そして、リハビリも始めるからと話してくれました。頑張ってね先生!

『るろうに剣心』と三井寺

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いま『るろうに剣心』がテレビで放送されているのを見ていて
映画 『るろうに剣心』 の撮影場所だった三井寺を思い出しました。

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ここから下の記事は、2013年8月17日に投稿したものです。


三井寺の一切経堂を出て三重塔に向かっていると
こんな説明板がありました・・・

映画 『るろうに剣心』 この場所で撮影されました。
平成23年0月27日・28日、ここ一切経蔵前て映画 「るろうに剣心」 の撮影が
行われました。主演の佐藤健さん、武井咲さん、吉川晃司さんが訪れ剣心が
刃衛と初めて出会い薫を刃衛の魔の手から危機一髪で救いだすシーンを撮
影。ワイヤーを使った豪快なアクションと三井寺の風景を、是非、映画館で
ご確認下さい。


説明版の写真には、一切経堂と橋が・・・


橋から振り返ると、一切経堂 (重要文化財) が見えています。
映画では、この橋の右下から撮っていたそうです。

ハロウィーンで賑わう三宮駅前

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これは10月31日の三宮駅前です。
もとは子供向けの行事だったハロウィーンが最近では


仮装した若者たちが仮装して繁華街に集まって
歩き回って楽しむようになりました。


そして、道行く私たちにも笑顔で楽しませてくれてます。

そんな中、東京のあの有名なスクランブル交差点付近の路上で迷彩服姿に
仮装した20代の無職の男が警戒中の警察官をエアガンのようなもので殴打し
公務執行妨害の現行犯で逮捕された、残念なニュースがありました。

私が初めて仮装で楽しむハロウィーンを見たのは、ワイキキの夜でした。
この時の日本は、今のようにハロウィーンは盛り上がってなかったので
よく覚えています。その時の様子がありますのでこちら でご覧ください。

「とらや」のハロウィーンまんじゅう

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羊羮が美味しい「とらや」さんにも、ハロウィーンのお饅頭がありました。


今年のハロウィーンは、像屋のお饅頭で始まり
「とらや」さんのお饅頭で終わりました。(*^^*)

高槻市菊花展のゆるキャラ「はにたん」

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昨年は、高槻市の市章の高をかたちどったものでしたが


今年は高槻市のゆるキャラ「はにたん」です。(右側から2番目)


「はにたん」は高槻市が誇る今城塚古墳でうまれました。
お 誕生日は高槻市の「ハニワの日」の8月20日です。
性格は優しくて、みんなが集まるイベントが大好きです。

秋の特別公開 ・四親王家の一つ「有栖川宮旧邸 有栖館」

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特別公開の季節になると、行きたい所はたくさんありますが、今年は・・・


「有栖川宮旧邸(ありすがわみやのきゅうてい)」に行ってきました。
( 四親王家は、伏見宮・閑院宮・有栖川宮・桂宮を言います。)

京都御所の一般公開に合わせて特別公開され
特別公開は、10/30(金)から11/3(火)まで(11月3日


有栖川宮家の屋敷は当初、京都御所の建礼門前に建てられていましたが、京都裁判所の仮庁舎として使用されたあと、屋敷の主要部分が烏丸通りに面した現在の場所に移築されたそうです。


その後は京都地方裁判所の所長宿舎として使われ宿舎の退去に伴って、2008年に平安女学院が買い取り、現在は「有栖館」として保存・利用されています。

書院造りで3つの棟から構成されている主屋は、国の登録有形文化財に指定。


手入れの行き届いた庭から、平安女学院の建物が見えてます。


こちらからは床の間ですが、宮さまのお座りするところで
宮さまにとっての床の間は、写真の右に見えるのが床の間だそうです。


左には付書院(つけしょいん)

床の間脇の縁側沿いにある開口部で、座敷飾りのための場所でもあり原型は出し文机(ふくづえ)と称された貴族・僧侶の私室につくられた出窓状の施設です。開口部に小障子を入れ、机を造付けにして読書の場所として使用されていたそうです。


「鞘(さや)の間」は、書院造りの畳敷きの縁側のような細長い部屋です。


襖の引き手です。


お庭には枝垂桜が2本あります。

この枝垂桜は、昭和27(1952)年に醍醐寺三宝院内の実生(みしょう:種子から発芽したばかりの植物のこと)の桜を移植したもので、秀吉が醍醐の花見を催した当時の桜の孫に当たるといわれています。

烏丸通りから枝垂桜が塀越しに見えるので、通られたときはご覧ください。


「青天門」国の登録有形文化財に指定されています。
扉は、けやきの立派な一枚板です。


青天門の説明です。
青天門は、この場所から少し南の方にあったそうです。

四日間だけの特別公開・和歌の宗家 「冷泉家」

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二つ目の特別公開は、数年前から行きたいと思っていた4日間だけ公開の・・・


京都の現存する最古の公家屋敷 「冷泉家」
特別公開は、2015年10月31日(土)~11月3日(火)


門を入ると写真は禁止、何も撮れなかったのと表紙がきれいだったので購入。


写真右上
冷泉家の玄関。 昔はずっと門が開いていたそう門外から内玄関への
直視を遮るための「立て蔀(たてじとみ)」があります。
立て蔀とは、細い木を縦横に組んで格子になった目隠しにするもので
源氏物語絵巻などに登場する平安王朝の遺構なのだそうです。

写真右下
座敷棟(上の間と下の間)があり、上の間(奥)の中央の床は行事の際に
祭壇を設けます。お庭には、「左近の梅」と「右近の橘」がありました。

写真左上
紅白の萩が植えられた中庭は、座敷棟と台所棟の間にあります。

写真左下
松の間と鶴の間は、居間として使用されていました。


写真右上
台所の梁には「しゃぐま(赤熊)」という藁を束ねたものが飾られていました。
「しゃぐま」は 祇園祭の長刀鉾に使われていた藁で、お祭りの後に頂きます。

写真右下
神事に使う漆喰の「おくど」さんです。

写真左上
今も御文庫のに入れるのは冷泉家の当主だけで、当主以外はこの通風口 から。

写真左下
御文庫 (おぶんこ 右)と御新文庫(左)貴重な典籍や古文書が納められている蔵で、天明の大火の時にお屋敷は焼けたが御文庫は焼けないで八百年の間守り続けています。 (御文庫には定家の筆による五つの国宝「古今和歌集」「後撰和歌集」「拾遺愚草」「明月記」「古来風躰抄」などがおさめられています。)


阿吽の「阿の玄武」

これは道路に面した門の屋根部分を撮ったものですが、角に「玄武」が
ありました。それは冷泉家が、御所から北に位置するためだそうです。


阿吽の「吽の玄武」

以前は写真も撮れたのですが、いまは御文庫の近くにも行けなくなってました。
もっと早くに行っておけば良かった・・・とチョッと残念な気分です。

銀閣寺の井戸水を使って炊きあげた「御米司 ふみや」

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友人が行きたいと言っていたお店でお昼をすることになり


銀閣寺の参道にある、御米司「ふみや」に行ってきました。
古民家を改装したお店で、銀閣寺の井戸水で炊いているそうです。


参道に面した厨房はガラス張りになっているので
陶器の羽釜でご飯が炊かれている様子が見えます。


美味しいご飯は一番のご馳走ですね。


儀兵衛さんの時のように「おこげ」を期待して一口だけお願いすると
「おかき」のようなおこげが・・・頂くとパリパリと音をたててました。

京の米老舗 八代目 儀兵衛 さんに行ったときの様子は
こちら でご覧ください。

東山文化を生み出した「世界文化遺産・銀閣寺」

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ここは銀閣寺の総門前で「銀閣寺境内案内図」があります。


総門を入り右折した白砂の参道は、両脇に大刈込された生垣と
銀閣寺垣と呼ばれる竹垣が中門までへ続いています。


中門には「東山慈照寺(じしょうじ)」と書かれています。

それは銀閣寺の建立が、文明14年(1482年)室町幕府八代将軍足利義政公に
よるもので、義政公は祖父にあたる三代将軍足利義光公の北山殿金閣(鹿苑寺)
にならい、山荘東山殿を造営しこの東山慈照寺(義政公の法号 慈照院にちなみ)
の俗称として「銀閣寺」と呼ばれるようになったそうです。


波紋を表現した「銀沙灘(ぎんしゃだん)」と、「観音殿(かんのんでん)」

観音殿は銀閣(ぎんかく)、観音殿を含めた寺院全体を銀閣寺と呼ばれ
平成6年 (1994年) 、世界遺産文化遺産に登録されました。


東求堂(とうぐどう) 国宝

日本最古の書院造建築物で、1486年に建築されました。
義政公の持仏堂で、一層の入母屋造り、檜皮葺きです。
北面には六畳と四畳半の二室があり、北面東側の四畳半は
草案茶室の源流、四畳半の間取りの始まりと言われています。


今日は、この東求堂の特別公開を楽しみに行ったのですが残念ながら
団体客と僅かな人(20人)だけなので、入ることが出来ませんでした。


気を取り直し展望台へ・・・


紅葉しているのが見えます。


展望台からの眺めです。


観音殿(銀閣)

友人は特別公開が見られなかったので、また近々に行くそうですが
私は、海外からのお客さんが少し落ち着いてから行きたいと思います。

東京ディズニーランドで2歳のお誕生日

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Aちゃんが、東京ディズニーランドで2歳のお誕生日を迎えました。
その時の記念の一つが↓だそうです。


ミニーとAちゃんの横顔を切り絵にしたアートです。

東京ディズニーランドのワールドバザールには、シルエットスタジオがあって
切り絵のプロが、Aちゃんの横顔を見てその場で切り絵にしてくれたそうです。
あまりにも可愛いので撮らせてもらいました!

三宮・柔らかくてフワフワの美味しい鰻

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『お寿司と鰻のどちらが良い?』の返事に、迷わず『鰻!』と答えると


買ってきてくれたのが、三宮「鰻 青葉」の
上写真と肝焼きでした。(11月1日

私には、鰻と言えば肝焼きは欠かせませんので (*^▽^)/★*☆♪
もちろんビールと一緒に頂きました。

このお店の鰻を頂くのは2回目です。
1回目は、2014年の丑の日にお店で頂いたときです。
お持ち帰りでも、柔らかくて美味しかったです。

「星の王子さま」と私

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映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』が、2015年 11月 21日(土)から
全国公開されます。

この作品は、フランスを代表する小説家サン=テグジュペリが1943年に出版され
以来、全世界270以上もの言語・方言で翻訳され1億4500万部を売り上げました。
「星の王子さま」のその後を描いたアニメーションが、初めて映画化されます。

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私が「星の王子さま」と、初めて出会ったのは


友人からのプレゼントでした。


発行日を見ると、驚くことに昭和42年9月15日です!

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そして2回目は、2007年05月24日の「星の王子さま展」でした。
(京都大丸にて)


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3回目は、2012年に行ったフランス旅行の時です。


星の王子さまと、著者アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ氏の像です。
(フランス・リヨンのベルクール広場)

その時の説明には
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、1900年6月29日フランスのリヨンで生れました。幼少の頃は飛行士に憧れ、飛行士として活躍しながら作家デビューし、第二次世界大戦中に亡命先のアメリカで 「星の王子さま」を執筆して、1943年に出版しました。その年に軍に復帰し、1944年7月31日に地中海コルシカ島から飛び立ったまま消息を絶ったそうです。

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「星の王子さま」と4回目に会うのは、映画「リトルプリンス 星の王子さまと私」
ですね。HPはこちらでご覧ください。

桂離宮・参観1 「御幸門から外腰掛け」

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京都迎賓館へ一緒に行った友人達と、桂離宮を参観してきました。
11月12日(木)

京都の西の郊外を流れる桂川の西岸、旧丹波街道に通じる桂川大橋を渡った北西に位置する桂離宮は、後陽成(ごようぜい)天皇の弟君・八条宮(はちじょうのみや)初代 智仁(としひと)親王により、1615年に宮家の別荘として創建されましたが、十二代 淑子内親王が亡くなられるとともに絶え、明治16年(1883年)宮内省所管となり「桂山荘」から「桂離宮」と称されることになりました。


参観者の出入り門を通り、参観がスタートしました。


土橋を渡って御幸門向かいます。
写真の左に見える屋根は「御舟屋(おふなや)」です。


御幸門(みゆきもん)

最初の御幸門は 後水尾上皇の御幸を迎えるために設けられたが
現在の門は第七代家仁親王の時代に作られたそうです。

御幸門は、茅葺切妻屋根(かやぶききりつま)で柱と桁には太い
皮付き丸太(アベマキ)が使われ、門扉は割竹を簀子状に並んでます。
(アベマキはワインの栓に使われることもあるそうです。)

写真右下に見える四角い石は その上に御輿を置いたと言われ
「御輿石(オコシイシ)」と呼ばれていますが定かではありません。


その先に御成門(表門)があります。


御幸道(みゆきみち)は、御幸門から先ほど通った土橋への道です。

この道は青黒い小石をが敷き詰められ、やや中高に反りがつけられたことで
水はけがよくなるようにつくられていました。これは後で分かったのですが
先に見える土橋を渡って左に行けば、後書院の中門への道だったのです。

======= 御幸道の土橋手前を左折して外腰掛へ =======


二重枡形手水鉢 (にじゅうますがたちょうずばち)

外腰掛の手前に背の低い石灯籠と、外枠に対して45度ずらして
方形の水穴があることから呼ばれています。


外腰掛 (そとこしかけ)

外腰掛は松琴亭の待合所として使われたもので蘇鉄山に面して
間口三間の茅葺寄棟造で、内側は二間の腰掛がありました。


外腰掛の前庭として作庭された「蘇鉄山」

蘇鉄山の風景は桂離宮の繊細なお庭としては異質な感じですが
当時は蘇鉄のもつ南国的な雰囲気が珍重されたそうです。

明日は、「天の橋立」「松琴亭」をご紹介したいと思ってます。

桂離宮・参観 2「州浜→天の橋立→松琴亭」

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外腰掛を後にして・・・池に沿って歩いていくと


州浜と天の橋立 (写真右上に、古書院が見えてます。)

州浜(すはま)は、黒く扁平な石が敷き詰められ池につきだしています。
先端に灯籠が置かれ岬の灯台に見立てて海を演出しています。

天の橋立は、北岸の出島と二つの低い中島を水面すれすれに架けた石橋で結んだ景で構成されています。智仁親王の奥方、智忠親王の母堂にあたる常照院(じょうしょういん)が宮津藩の京極高知の息女であったことから「天の橋立」を意匠化されたそうです。

======== 石橋を渡って松琴亭(しょうきんてい)へ========


石橋を渡り石段を下りると、流れ手水があります。


松琴亭は、桂離宮で唯一の草庵茶室です。
(松琴の銘は、琴の音に峯の松風通ふらし・・・の句から採られています。)


松琴亭の東側に茶室「詫の囲」の「にじり口」があります。


一の間は、L字形に曲がった十一畳敷きの座敷で室内には
暖をとるための一畳大の石炉が設けられています。(袋棚の下)


襖障子の、青と白の大柄の市松模様が圧巻です。


松琴亭の池側に、このような鐘楼が掛けられていたそうです。


賞花亭(次に行く)から見える「松琴亭」の全景です。
別荘だった頃はお舟に乗って、この景色を楽しまれたのでしょうね。


賞花亭へ渡る「蛍橋」がみえてますが
お舟が通れるようになっているのが分かります。

明日は、賞花亭(しょうかてい)から園林堂(おんりんどう)をご紹介します。

桂離宮・参観3「賞花亭(しょうかてい)→園林堂 (おんりんどう)」

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「にじり口」のある松琴亭を出て、茶屋風の賞花亭に向かいます。


賞花亭へ向かう「蛍橋」を渡っています。


水蛍燈籠

蛍橋を渡り飛石伝いに斜面を登ってゆくと 途中に「水蛍燈籠」があります。
水蛍燈籠は、源氏物語に出てくる大堰川畔の明石の上の庭に、木立の奥からかがり火の影がちらちらとして、遣水の蛍にも似通う面白さを述べているのを、石灯籠を以って意図したもので命名は第七代家仁親王と言われています。


賞花亭前の手水鉢です。

小高い場所に位置する「賞花亭」の手水鉢から、左下に書院が見えます。
鉄鉢形の手水鉢は、五輪塔の水輪を転用したものです。


松琴亭と同じようにほぼ北に向かい、消夏のための小亭で南側の竹の連子窓
(れんじまど)を通してみる景色は深山幽邃(しんざんゆうすい)の趣きで
土間を真中にして、コ字形に畳四枚を腰掛けにして、篭と炉がありました。


正面と右側面の前寄一間を吹き放ちにした開放的なつくりで
建物の軒先には、龍田屋の暖簾が掛かっていたそうなので
眼下に書院群、遠くに愛宕山を望んだ峠の茶屋風の風情です。


この写真は、一緒に参観した友人から提供して貰った
現在の「賞花亭」の全景です。


そして、この写真は以前の「賞花亭」の全景です。
以前の壁の色はもうありませんでした。

この亭は、もと今出川本邸にあった龍田屋を智忠親王の時に移されたそうです。

========== 園林堂(おんりんどう)へ ==========


園林堂に向かう道で、書院が目の前にある橋がありましたが
その橋は進入禁止なので横目にして


池沿いに歩いていくと・・・


園林堂

賞花亭の山裾に西面に建つ、本瓦葺宝形造り屋根の持仏です。
正面に唐破風の向拝を有した観音開きで、智忠親王の代に造営されました。

初代智忠親王の尊影と、その師 細川幽斎の尊像が納められていましたが
いまは安置されているものはなく、後水尾上皇宸筆の「園林堂」の扁額と
建物だけが残っています。


園林堂前に橋はありますが進入禁止だったので、「笑意軒」の帰りに
「園林堂」前の渡れなかった橋も一緒に撮りました。

長くなりますが、次は船着き場のある「笑意軒」と「書院」です。
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