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桂離宮・参観 4「笑意軒(しょういけん)→書院」

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園林堂から、舟溜まりのある「笑意軒」へ


笑意軒の前面です。

桂離宮のほぼ南端に位置し、梅馬場から左に行くと「笑意軒」の前に出ます。
笑意軒前の池は一隅の入江状になっているので、船着場には二箇所の石段から
下りることができる、舟溜まりとして実用性の高いところです。


雪見燈籠

梅馬場の苑路脇にある「雪見燈籠」は、数多い京都名園の雪見燈籠のなかでも
安定感があって姿もよく逸品とされています。


「笑意軒」の扁額と、写真は五つですが「六つの丸窓」

篇額は智仁親王の御次男で、智忠親王の弟宮の曼殊院門跡良尚法親王の筆。
六つの丸窓は、それぞれに下地の組み合わせを変えるなど凝ったものであり
「四季の窓」と呼ばれていますが、名前の由来は明らかではないそうです。


口の間に続く六畳の二の間は 南側に肘掛窓があります。天井は一つの
つながりで室内を広くみせる配慮と考えられているそうです。


その中敷居下の腰壁には、市松模様の部分に金地にエンジ色のビロード
その他の部分に金箔が斜めに貼り付けられています。

襖の引き手は「櫂 (カイ)」の形になっています。
入り江状の池は舟溜りとして使われたので「櫂」の形が選ばれたようです。


口の間の杉戸の引き手は「矢」の形になっていて
手をかけるところは「矢羽」になっています。


この手水鉢には「浮月(うきつき)」の名前がついています。
手水鉢の水面に映る「月」を楽しんでいたようです。


笑意軒の紅葉した庭先から「園林堂」がみえてます。

松琴亭と同様に茶屋建築の一つで、智忠親王の代に造営されたのですが
笑意軒だけ「軒」が使われているのは、中の間・次の間・口の間・膳組の間
などの母屋の主な部分が、桂の茶屋の中で最も大きいからと言われています。

========== 四つの書院 ==========


書院全景

桂離宮の書院群は、東から古書院(写真右端)、中書院、楽器の間、新御殿が雁行形に連なって並んでいます。この形状は各書院が時を違えて次々に増築された結果、軸をずらし日当たりや風通し、建物からの庭園の眺望に配慮したそうです。


残念ながら書院の中には入れないので、通りすぎるだけでした。(;_・)


月見台

二の間の正面に、広縁から池に突き出すように竹簀子で作られた月見台は
月見はいうまでもなく、苑内の主要な景観が一望できるところでした。


東側からみた、古書院と月見台です。

明日は、「月波楼から中門、衝立松」です。

桂離宮・参観 5「月波楼→御越寄→中門→衝立松」

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書院を横目にして、書院と並んで池に面して建つ観月のための茶亭へ


月波楼(げっぱろう)

「楼」とは月見用の建物をいい、月波楼は池に映る月をみるための建物で
軽くむくりをつけた柿葺の寄棟屋根に、切妻の口の間が出張った茶屋敷です。


間取りは正面中央の土間をかこむように、一の間・二の間を配し
中の間に口の間を付設した格好です。


中の間は月波楼のなかで池に臨んで最も見晴らしのよく
池の向こうには「松琴亭」がみえてます。(写真右端)
この部屋から、池に映る月を楽しんでいたのですね。


月波楼の名は、白楽天の西湖詩の句
「月は波心に・・・」より引用したものです。


土間の正面奥の部屋です。


土間の西端、膳組の板間は切り込んで長炉や釣戸棚が設けられ
使い勝手よく配置され、前面が開放されています。

========== 中門から御輿寄前庭へ==========


中門(ちゅうもん)

月波楼の膳組前の近くに階段があって下りていくと
茅葺切妻屋根の簡素な棟門形式の中門がありました。


御興寄(おこしよせ)前庭

中門を通らず左に行くと、深々とした杉苔に覆われた「御輿寄(玄関)」
が広がり、中門から御輿寄まで敷石や畳石が連なっていました。

足下には「田」の字形の石、四枚の方形の「く」の字形の切石が配置され
さらに一枚の切石は御輿寄に延びる畳石へと向かい、こうした敷石の配置は
輿の円滑な進行を意図し、幾何学模様を描いた視覚的にもすぐれた意匠です。


中門を通って黒文字垣に沿って進み・・・お池のある方向をみると


衝立松(ついたてまつ)

池の岬の先端に「衝立松」と呼ばれる小ぶりの松がみえました。
衝立松の名は、両側の生垣と共に池の眺めをさえぎる衝立の役目を果たすことに由来しますが、かつてここには「住吉」の松と呼ばれる大松があり、この松と相対するように対岸の松琴亭の傍らには「高砂」の松が立っていたと言われています。


スタート地点でもあったこの場所で、庭園の参観が終わりです。
素晴らしい桂離宮の庭園のでした。

明日は、初めてみた桂離宮独特の「穂垣」・「笹垣」です。

桂離宮・参観 「表門→穂垣→笹垣」

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参観終了後は、通用門の(黒御門)から桂川に向かって歩きました。


穂垣

通用門の黒御門から東の「表門」へ、一定間隔に立てた太い竹に
水平に細い竹枝を積み上げた穂垣が連なっています。


大きな木があって・・・その前が


表門 (正門)

左右に磨き竹の袖塀に、二本の太い丸木の門柱の間に磨き竹の門扉を
取り付けた簡素なもので、特別な時の他は開けられることがありません。
表門を入ると、初めに案内された「御幸門」があります。


桂川の土手道に沿って、境域をくぎる笹垣(桂垣)が連なっています。


笹垣は離宮の東側一帯に自生する竹藪の竹をそのまま利用して
一定の高さで竹を押し曲げて編んだ素朴な生垣です。


道をはさんだ先には、桂離宮の池に水を引いた桂川があります。

案内して下さった人が『桂離宮も桂川の度重なる氾濫で離宮の壁部分に
今もその跡が残っています。』と、話されていたのを思い出す。

桂離宮の参観は、これで終わります。

甘党の友人と老舗の「永楽屋」さんに行ってきました。 (’-’*)♪

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ブログでの桂離宮参観が終わってチョッと一息ですが。。。
これは11月3日、銀閣寺からの帰りに「永楽屋」さんへ行った時のことです。


手作りアイスクリームに、特製白玉粉、和栗など、厳選した材料を使い
手作りにこだわった永楽屋「オリジナルパフェ」です。

甘いものを食べている私を見たことがない、甘党の友人が遠慮がちに
『甘いものが食べたいけど、永楽屋さんに入って良い?』

たまに、甘いものが無性に欲しくなる私なので
『一人で甘いものを食べに行かないだけで、好きだから入りましょう』

で、入ったお店は河原町四条の「永楽屋本店」の、奥にある階段を上がると
永楽屋さんが直営する喫茶室になっていて、数組の方が順番待ちしてました。
和菓子は何度か買ったことはありますが、甘党には欠かせない喫茶室でした。

永楽屋本店直営の2階喫茶室はこちらでご覧ください。

桂川の「徳大寺樋門の遺構」

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桂離宮参観のあと、桂橋に向かっていると・・・


桂川の側に、レンガ造りのようなものが見えます?


徳大寺樋門は、桂川の度重なる氾濫を防ぐために築かれた堤防に
設置されたもので、桂離宮への引き水にも利用されていたそうです。


この樋門は明治41年5月(1908年)に改築されたそうですが、
平成5年6月(1993年)桂樋門新設に伴い廃止されました。


徳大寺樋門の遺構
その一部が遺構として、桂川の側に残されていました。


そのすぐ横に「桂橋」がありました。
「桂橋」と書いてありますが,地元の人は「桂大橋」と呼ぶそうです。

京都国立博物館「琳派誕生400年記念 琳派 京(みやこ)を彩る」

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友人が『琳派のチケットがあるんだけど行けなくなったので・・・』
というわけで、私が京都国立博物館に行って「琳派」を観賞してきました。


2015年10月10日(土)から 11月23日(月・祝)まで


明治古都館にいつもの行列がない! と、思っていると・・・


「琳派誕生400年記念 琳派 京(みやこ)を彩る」は
平成知新館が展示会場だったのです。

琳派とは、江戸時代に現れた装飾的な作風を特色とする
俵屋宗達、尾形光琳・乾山、酒井抱一といった芸術家の
一群をゆるやかにつなぐ言葉です。

その源は京都洛北に住し、書をはじめ様々な芸術に関与した本阿弥光悦へと
遡ります。光悦が徳川家康から鷹峯の地を拝領して400年となることを記念し
琳派誕生の地である京都において初めて開催される本格的な琳派展でした。


明治古都館の正門
明治28年10月竣工され、昭和44年に重要文化財に指定されています。

チケットを頂いたときに、『重要文化財 風神雷神図屏風 尾形光琳筆は
11月8日に終わっているけど』と言ってましたが、俵屋宗達と酒井抱一の
「風神雷神図屏風」を同時に鑑賞できるだけで、とても贅沢な気分でした。

暗くなるのが早くなりましたが、祇園から河原町の通りは人、人、人で
見ているだけで疲れてきます。以前の京都が懐かしいです。(-_-;)

大阪府知事選に投票してきました。

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今日は、大阪府知事・大阪市長のダブル選の投票日です。


私も大阪府知事選に投票してきました。

20時の速報では、知事選には自民推薦で民主、共産の支援を受ける前府議の栗原貴子氏(53)、大阪維新公認で現職の松井一郎氏(51)、無所属で元府立高教諭の美馬幸則氏(65)の3人が立候補されましたが、松井一郎氏が当選確実です。

また橋下徹市長が引退した市長選も、大阪維新公認で前衆院議員の吉村洋文氏が
当選確実で、大阪府知事・大阪市長のダブル選で二人が当選が確実になりました。

今年、選挙権年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が可決され
来夏の参院選から「18歳以上」が投票できるようになりました、世界的には選挙権年齢は18歳が一般的で、日本も国際標準になったようです。

日本では、1889年に大日本帝国憲法及び衆議院議員選挙法が公布され、一定以上の財産を持つ25歳以上の男子に選挙権が与えられ、数度の改正を経て、1925年に25歳以上の男子全員に選挙権が与えられました。その後、1946年に日本国憲法が公布され、公職選挙法で20歳以上の男女と定められましたが、残念ながら現在の投票率は下がる一方のようです。(-_-#)

選挙権が無いときは欲しがりますが、あると投票に行かないのですね。

愛宕山常夜燈

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愛宕山への常夜燈や道標を見ることは多いのですが『愛宕山に行こう。』
『愛宕山に行ってきた。』は、今までに一度も聞いたことがありません。
でも、京都に行くと『あれが愛宕山。』と説明されることは多いです。


ここにも立派な「愛宕山常夜燈」があります。

愛宕山のことが知りたくなって検索すると
愛宕山は、あたごやま、あたごさん、おたぎさんと呼ばれていますが山の名前で、日本各地に愛宕山の名前をもつ山が沢山あります。多くは愛宕神社と関連のある山で、その大元の愛宕神社(山城国葛野郡 )の名も山名に由来しています。

葛野郡(かどのぐん)は、京都府にかつて存在した郡で山頂は京都市ですが、約1.5km西に市境があり山体は亀岡市にまたがっています。京都盆地の西北にそびえる標高924m、京都盆地東北の比叡山と並び信仰対象の山とされ、神護寺などの寺社が愛宕山系の高雄山にあり、山頂には愛宕神社があり火伏せの神様として、京都の住民の信仰を集め全国各地にも広がったそうです。

昭和初期には愛宕神社参詣の足として愛宕山鉄道が山上までのケーブルカーを敷設し、あわせてホテルや遊園地もある愛宕山遊園地が開かれて観光客で賑わっていたそうですが、世界恐慌や戦争の影響で客足が落ち、第二次世界大戦末期にはケーブルカーが不要不急線として廃線になり遊園地やホテルも閉鎖されて戦後再開されることは無かったそうです。

愛宕山への燈籠や道標が多く残っているのは、そういう事だったのですね。
京都迎賓館の、夕映えの間に描かれていた「愛宕夕照(あたごゆうしょう)」。
名前だけ知っていた「愛宕山」が少し分かったような気がします。

京都市のマンホール

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他の市に行ったとき、マンホールを見つけたら撮ってくるのですが
京都のマンホールは撮ったことが無かったので、撮ってきました。



古都京都にちなんで「御所車」をモチーフにデザイン化したそうです。
今まで撮ってきたマンホールは、カラーであったり目立つデザインですが
とてもシンプルなデザインです。(職員さんのアイデアだそうです。)

雨で濡れた場合などのために、滑り止めの機能を持たせたデザインで
昭和63年から使用されているそうです。

サツマイモの「チーン」簡単調理法

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ビタミン、カルシウムやマグネシウム、鉄、亜鉛などのミネラルも豊富な
サツマイモを「チン」するだけの簡単な調理法がありました。

基本は、サツマイモをよく洗って、キッチンペーパーか新聞紙で包みます。
包んだサツマイモをレンジで1~2分加熱し、更にレンジの「解凍」機能で
10~15分くらい加熱すると、もう出来上がりです。

写真のサツマイモは小さいので、洗ってキッチンペーパで包んだものを
レンジで2分加熱したあと「解凍」は少し控えて10分にしました。
(初めは時間は控えめにして、サツマイモのでき具合で調節してください。)

防災訓練が夜の10時から実地?

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「防災訓練の実地」の回覧板が回ってきました。



防災訓練の開催時間が、午後10時から11時30分です。

私の就寝時間は遅いので起きている時間ですが、早い人は10時には寝ていると
聞いているので「午後10時から?」と思って、班長さんに聞いてみると・・・

その日は、『私は午前の間違いと思っていたけど、会長さんに聞いてみます。』と言っていたのですが、次の日に『会長さんに聞いたら、見ないで回しただけなので分からないと言われた。でも前回の訓練では来られた人が少なかったと聞いたことがあるので・・・災害は夜にあることもあるので訓練は回覧板に書かれていた午後だと思う・・・。』と、確認無しのハッキリしないお返事でした。(笑)

午前か午後、どちらなのでしょう? 他の人達は疑問に思われないようですが
ただ防災訓練に関心がないだけかな。これは愚痴ではありません。(^_^;)))

願いが叶うパワースポットの鈴虫寺で、鈴虫6000匹の音色 ♪

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京都・嵐山の南側に、願いが叶うパワースポットでもあり
一年を通じて鈴虫の音色を 楽しめる「鈴虫寺」に行ってきました。


通称「鈴虫寺(すずむしでら)」と呼ばれる「華厳寺(けごんじ)」は
四季を通して鈴虫を飼育していることから「鈴虫寺」と呼ばれています。
(11月12日 木曜日


石段を上った山門横の「幸福地蔵菩薩」さまです。(正面中央)

日本で唯一わらじを履いたおじぞうさまで、願いを一つ叶えてくださるそうで
恋愛、結婚の願い事の確率が高いそうです。


華厳寺は正式名称で、京都市西京区にある臨済宗の寺院で
山号は「妙徳山 」(みょうとくさん)です。


行列のできるお寺さんですが、今日は少ないと喜んでいると
次の入れ替えまで、少し並んで待つことに・・・
後ろを振り返ると階段の所まで列が出来ていました。


鈴虫法話を聞きながら、お茶とお菓子を頂きました。

写真禁止なので鈴虫の写真はありませんが
数部屋を開け放たれた部屋で、約6000匹の音色を楽しみます。


法話を聞いた後は、京都駅方面を望むことができるお庭の散策です。

木々の見えているところが(写真中央の上)「桂離宮」のようです。
横から『京都タワーが見えてる。』などの声が聞こえてきます。


お手入れの届いたお庭をまわると、鈴虫の音色と法話を楽しんだ
建物が見えて、お庭の出入り口に出てきました。

イタリア料理の「グランプリエ (Grand Plie)」

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鈴虫寺の帰りにお昼したお店は


イタリア料理のお店「グランプリエ」

松尾大社の近くにあるイタリア料理のお店は、白を基調にした一戸建てで
内装も外観と同じく白を基調に、2階部分の一部が吹き抜けになっています。
私達はお店の一番奥にある苔のドライフラワーの額の前に座りました。


サラダorスープ、スパゲティorピザor?(写真下)に飲物がついて1080円です。
私は、サラダとピザにコーヒー 。(美味しいピザでした。)


友人は、サラダと?(上写真)にコーヒー。

地元の女性客で満席状態のおしゃべりに、友人の一人が疲れてしまい
嵐山に行くのをやめて早々の解散になりました。お疲れさまです。(^_^;)))

高槻センター街西側入口のアート

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ここは、高槻センター街西側入口 「銘菓の里井づつビル」 の壁面ですが
いままで壁に描かれていた絵が、また変わるようです。


上写真は、2011年11月に新しい絵を壁面に描いているところです。

もう完成しているかなぁ? 明日にでも行って見てきます。(*^^*)

国宝・姫路城の1「菱門と西の丸南門跡」

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今年の7月に姫路城の天守閣を目指した時の事です。


桜の季節にも姫路城に行ったのですが、その時は待ち時間が長くて天守閣には
入ることが出来ませんでしたので、きれいになった姫路城に再挑戦です。


菱の門

表門にふさわしく格式高い櫓門は、片側だけ石垣に乗る珍しい
安土桃山様式の城門です。


正面の冠木に名前の由来となっている木製の「花菱」が飾られています。


菱門を入ったところから、アップして見る「姫路城」です。


菱門を左折(順路)して、ここは「西の丸」に向かう階段です。
階段の左に説明板があります


「西の丸南門跡」と書かれた説明板によると

ここにはかつて西の丸への南入口の門がありました。番所付きの高麗門で、坂道の真ん中には約40cm角の正方形の礎石が残っています。坂道の西端にもいくつか礎石が残っています。

門の東側には武者溜りがあり、門に接続して細長い建物がありました。菱の門から向かってくる敵に対して射撃をするための石打棚(いしうちだな)のような施設、あるいは番所があったのかもしれません。


階段の下の右側に、説明板に書かれている正方形の礎石があります。


階段を上がったところから見る「姫路城」です。
どこから見ても美しいです! (*^^*)

国宝・姫路城の2「百間廊下(ひゃっけんろうか)」

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西の丸を囲むように築かれた長屋は長さが約300mもあるので
とても長いという意味で、通称「百間廊下」と呼ばれているそうです。


百間廊下の入口です。


建物内の城内側は部屋になっていて、納戸などの小さな部屋が幾つもありますが
ここは、西の丸御殿(長局)で働く女中が住んでいた部屋のようです。


建物の城外側は、城外からの攻撃に対する防御機能もありました。
お城の西側は山がすぐ近くに迫っているため、防御上の弱点だったため
城外側(西)に向けて格子窓や狭間がいくつも備えられたそうです。


格子は木芯に鉄板を張り、その上から漆喰を塗り込んで頑丈に造られており
戦時には、廊下に鉄砲隊を配備すれば強力な防御となり、雨天でも火縄銃で
射撃ができる利点はありましたが、もちろん普段は男子禁制だったそうです。


千姫が娘の勝姫と「貝合わせ」に興じている人形が展示されています。
(茨城県常総市の弘経寺に伝えられる「千姫姿絵」を参考に再現)


城内からみた長局(百間廊下)


西の丸化粧櫓

千姫がこの櫓を休息所としたことが名称の由来で
部屋には極才色の豪華な装飾が施されていたそうです。

国宝・姫路城3「 □○△形の 狭間(さま)」

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狭間(さま)

姫路城の土塀や建物の壁に、□○△の形の穴が開いてます。
これを「狭間」といい、天守や櫓、土塀の壁面に開けられた穴から鉄砲や弓矢を射るための防御施設です。現存する狭間の数は997ヵ所で、開けられた位置によって「立狭間」「居狭間」「寝狭間」とも呼ばれています。


この土塀は西の丸の東側に位置し、南北に長く連なっています。
ほかの土塀と異なり。□○△が規則的に並んでいます。


穴の外側が狭く、射撃手がいる内側は穴が大きくなっています。
これは射撃の角度を広げ、敵弾を防ぐための工夫です。
白鷺城と呼ばれる姫路城は、美しくて要塞のようなお城です。

「第21回 神戸ルミナリエ」のニュースを見ていて・・・

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昨日、鎮魂の光「第21回 神戸ルミナリエ」が LED100%で点灯されました。

1995年に発生した阪神・淡路大震災の犠牲者への鎮魂と、都市の復興・再生への願いを込めた「神戸ルミナリエ」がもう21年です。今年は日本初公開となる屋根付きの回廊「ガレリアコペルタ」が展示されているそうです。

開催期間は13日までで点灯時間は
月~木曜は午後6時~9時半、金曜は夕方6時~10時
土曜日は夕方5時から10時、日曜は夕方5時~9時半


これは、私が2013年に行ったときの写真です。
第19回の作品テーマは「光の記憶 (Memoria della Luce)」。

ニュースを見ていて思い出してました・・・(^_^;)))
その時の「神戸ルミナリエ」は こちら でご覧ください。

ご近所の「スマイルのイルミネーション 」(*^^*)

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毎日、楽しませて頂いてるご近所のイルミネーションです。
LEDになったのかな・・・電球が増えているような気がします。


これは、同じ場所の写真ですが、2013年に撮ったものです。
わぁ~何かがいっぱい見えているのが見えるでしょうか?


少し大きくして見ると、それは 「スマイル」 でした。(^^♪
撮っている私もスマイルです。(*^^*)

国宝・姫路城4「いの門→にの門・十字紋瓦・油壁」

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「いの門」
菱の門を入って真っ直ぐに進んだところにあります。
いの門の瓦紋が、池田輝政の家紋「揚羽蝶」です。


「ろの門」


「はの門」へ向かう坂道の土塀にも狭間が並んでいます。


「はの門」

姫路城では、姫山やその近隣にあった寺の墓石や石仏
古墳の石棺などの石遺品が石垣や建物の基礎に転用されています。


説明板の左にあるのが「石灯籠の基礎」

「はの門」は礎石に六角形に加工された石材が転用されています。
これは、もともと石灯籠の基礎としてしようされていた石です。


十字紋瓦

「にの門櫓」の唐破風屋根に乗っている鬼瓦に十字紋が彫られています。
この珍しい鬼瓦は、キリシタンだった官兵衛にゆかりがあるという説が・・・


天守閣まで遠いのが分かりますね。


「にの門」が見えてきました。


「にの門」の中です。
門を通ると、またすぐ右に曲がっています。


「油壁」は、「ほの門」へ向かう場所にあります。

 
砂と粘土をモチ米の研ぎ汁で練り固めた築地塀は、信長が倒れ豊臣家も破れると秀吉の姫路城はわずか20年で取り壊されてしまいましたが、豊臣秀吉時代のものと言われる城内で一ヵ所だけ残っている築地塀です。
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