「雅俗山荘(がぞくさんそう)」
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昭和12(1937)年1月、池田市五月山の麓に完成した小林一三の旧邸です。
芸術と生活とを一体に楽しむ思いを込め「雅俗山荘」と名付けられました。
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小林一三氏が茶の湯を楽しんだ「雅俗山荘のお茶室」へ
●人我亭(にんがてい)
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1月25日の小林一三の命日には、ここで逸翁白梅茶会が催されます。
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四畳半に六畳の次の間が付く茶室です。
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扁額は松永安左衛門筆
●即庵(そくあん)国登録有形文化財
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昭和12年雅俗山荘竣工時に作られた
三畳台目に、土間を二方に廻らせた椅子席の茶室です
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小林一三の考案で10席の椅子席から
畳上と同じ視点で拝見できるよう工夫されています。
●費隠(ひいん)国登録有形文化財
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昭和19年京都の寺院より移築されたと伝えられる二畳の茶室です。
扁額は、小林一三が商工大臣を務めた時の内閣総理大臣、近衛文麿筆。
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躙口(にじりぐち)のある茶室です。
躙口は千利休が、大坂枚方の漁人が家の小さな戸口から出入するのをみて
考案したと伝えられています。
壁の腰張りには、郷民の連判状と思われる古文書が用いられています。
※「小林一三記念館」内に建つ即庵、人我亭、古彩庵、大小庵広間の
5つの茶室は貸し出されているそうです。

昭和12(1937)年1月、池田市五月山の麓に完成した小林一三の旧邸です。
芸術と生活とを一体に楽しむ思いを込め「雅俗山荘」と名付けられました。

小林一三氏が茶の湯を楽しんだ「雅俗山荘のお茶室」へ
●人我亭(にんがてい)

1月25日の小林一三の命日には、ここで逸翁白梅茶会が催されます。

四畳半に六畳の次の間が付く茶室です。

扁額は松永安左衛門筆
●即庵(そくあん)国登録有形文化財

昭和12年雅俗山荘竣工時に作られた
三畳台目に、土間を二方に廻らせた椅子席の茶室です

小林一三の考案で10席の椅子席から
畳上と同じ視点で拝見できるよう工夫されています。
●費隠(ひいん)国登録有形文化財

昭和19年京都の寺院より移築されたと伝えられる二畳の茶室です。
扁額は、小林一三が商工大臣を務めた時の内閣総理大臣、近衛文麿筆。

躙口(にじりぐち)のある茶室です。
躙口は千利休が、大坂枚方の漁人が家の小さな戸口から出入するのをみて
考案したと伝えられています。
壁の腰張りには、郷民の連判状と思われる古文書が用いられています。
※「小林一三記念館」内に建つ即庵、人我亭、古彩庵、大小庵広間の
5つの茶室は貸し出されているそうです。